なぜ日本人は「あの時は仕方がなかった」が好きなのか? 過去の反省よりも正当化に走る「鮫島伝次郎」話法とは

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手のひら返し

 中岡家も糾弾にあったため、長男は予科練に入り、国に忠誠を誓う風の姿勢を見せる。鮫島は息子とともに中岡家を猛烈に非国民扱いして攻撃をする。だが、原爆が広島に落とされた時、家の下敷きになってしまう。そこを通りかかったのが元である。鮫島親子は助けを請う。元は散々自分を糾弾してきた鮫島親子を救うのは躊躇したであろうが、人命優先ということで助けてあげる。

 そして天皇の玉音放送、ポツダム宣言受諾といったことがあり日本による太平洋戦争開始は暴挙であったという認識が出た。そこで鮫島は手のひら返しをするのである。彼は広島市の市会議員選挙に出馬する。その時の講演会の内容を振り返ろう。元はたまたまこの講演会会場の前を通る。(以下、「はだしのゲン」汐文社版/5巻より引用)

鮫島:ゴホン わたくし鮫島伝次郎の新春放談にかくもにぎにぎしくおあつまりいただき感謝いたします

ゲン:町内会長のやつだ

鮫島:さて わが日本は激動と混迷と悲惨な時代をむかえております わたくし鮫島はすでに太平洋戦争がはじまった時点で このような時代がくることは予期いたしておりました わたくしは戦争反対を強く叫びとおしておりました 日本は戦争をしてはいけないと固く信じていたのです

ゲン:(グヌヌヌ的に鮫島を睨む)

鮫島:しかるに日本の軍部のばかどもは かの偉大なるマッカーサー元帥のいられるアメリカ合衆国とイギリスに戦争をふっかけてしまったのです わたくしは悲しかった 平和の戦士、鮫島伝次郎 胸が張りさける思いでありましたグスン わたくしはだんこ戦争反対に立ち上がり必死でたたかってまいりました 終戦となってやっとわたしの時代がきてくれたとよろこびにたえません わたくし鮫島伝次郎は市会議員に立候補いたし 当選のあかつきには一命をとしこの広島市の復興を平和の鬼となってやりとげる決心であります

大人の事情が分かってない

鮫島:(ここで、過去に散々非国民扱いしたゲンがいることに気付く)

鮫島:アワアワ

観客:どうしたどうした

ゲン:おっさんはよう演説せえや

鮫島:お おまえ生きていたんか

ゲン:バーカかんたんに死ぬるもんかっ おっさんは調子のええやつじゃのう 鬼畜米英とさけんでいちばんよろこんで戦争に参加していたのに……さんざんわしらを非国民といっていじめやがって 日本が戦争に負けるとこんどは戦争に反対していた平和の戦士か つごうがええのう
おっさんは大きなつらをして人前に顔をだすな おっさんみたいなええかげんなやつが市会議員になったらなにをするかわからんわい

鮫島:だまれっ だまれっ みなさん 鮫島伝次郎はウソをもうしません はやくこいつをつれだせ

部下:ヘイ このガキじゃまをするな(と元を外に追い出す)

 鮫島は戦争に大賛成の立場だった。そして元と中岡家を迫害していた。なぜなら、正しい行為である戦争を中岡家が反対していたからである。ジャニーズ事務所の性加害問題を批判する者、さらにはジャニーズ事務所への忖度を批判する者は妄想が激しい者か「大人の事情が分かってないバカ」的な扱いを受けた。

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