高見山 ハスキーボイスの秘密、叶わなかった3つの目標…義理人情を大切にした相撲人生
人を気遣う性格で愛された外国人
肉など食卓に並ばぬこの時代、魚のチャンコでは不憫だと 思ったおかみさんが、ジェシーにだけ肉炒めを出しても、部屋の力士は彼をひがむようなことはなかった。
「ボクだけ、肉ダメです。みなさん、食べてください」
人を気遣う性格だったからこそ、ジェシーは部屋の力士たちに愛された。
実は高砂部屋に入門する時、ジェシーには州兵の義務があと5年残っていた。入門の翌年、日本で州兵検査を受けたものの、体重オーバーで不合格。この時に徴兵された兵士の多くがベトナム戦争で亡くなってしまったのだが、彼のハイスクール時代の同級生2人もその中に含まれていたという悲しい出来事を知ったのは、後年のことだった。のちに、ハワイに帰省したジェシーは、彼らのお墓の前で大泣きしたという。
ジェシーは順調に出世していった。日本の食べ物や言葉にも、徐々に馴れていったものの、克服できなかったのが冬の寒さだった。冬になると扁桃腺が腫れてしまうのだ。
ダミ声のきっかけとなったある事件
入門から2年後のこと、医師に扁桃腺を取る手術を勧められたジェシーは、これを快諾。「手術後、2週間は入院しなさい」と言われたが、稽古を2週間も休むことなどとてもできない。体調が不十分なままでのぞんだ稽古で、兄弟子のノド輪攻めがジェシーの扁桃腺部分に命中。熱が出て、翌場所は負け越しとなってしまった。
「ハスキーボイスはこの時からね(笑)。ハイスクール時代は、ボク、コーラス部でテナーを担当してたんだよ」
のちにトレードマークとなったジェシーのあのダミ声は、こんな事件から生まれたのだった。
入門から丸3年の昭和42年春場所、ジェシーは念願の十両昇進を果たした。
十両以上の関取は、給料が出て、付き人も付く。これまでの生活と比べて格段の好待遇となる。「十両昇進」をハワイの母に知らせた時の母の喜びようが、ジェシーにとって一番うれしいことだった。
[2/3ページ]