高見山 ハスキーボイスの秘密、叶わなかった3つの目標…義理人情を大切にした相撲人生

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 現在はモンゴル出身者が多い外国人力士だが、その先駆けとなったのは米国・ハワイ出身のジェシーこと高見山だ。相撲界初の外国人力士として厳しい稽古に耐え、日本の風土や慣習に親しんだ結果、昭和47年に初優勝。米大統領から祝電が届くほどの話題を呼んだ。一体なぜそこまで強くなることができたのか? ※武田葉月『大相撲 想い出の名力士たち』(2015年・双葉文庫)から一部を再編集

ハワイの州兵から大相撲の世界へ

「マルハッチ!!」
「二倍、二倍~!」

 力士とは思えない軽快なダンスとチャーミングな笑顔。昭和40年代中盤から、お茶の間の人気者になったのが、ハワイ出身の高見山大五郎だ。

 全盛期には200キロ近い体重を誇り、横綱・輪島に圧倒的な強さで勝ったかと思えば、貴ノ花ら小兵力士にコロッと敗れてしまう「負けっぷりのいい力士」。

 高見山の魅力はそこに尽きると言えるだろう。

 本名、ジェシー・クハウルア。太平洋戦争終戦の前年、ハワイで生まれたジェシー少年の家庭は、決して裕福とはいえなかった。父親が早くに亡くなり、パイナップル農場で働いていた母を早く楽にさせてあげたいと思っていた長男のジェシー。

 ハイスクール時代、相撲をかじっていたジェシーに目をつけたのが、四代目・高砂親方(元横綱・前田山)だった。ハイスクールを卒業したジェシーは州兵となっていたが、大相撲ハワイ巡業の際に正式なスカウトを受け、日本にやってきたのが昭和39年2月、19歳の時だった。

部屋一丸となっての英才教育

「日本という国を見てみたかったのね。ハワイの青い空と海は飽きちゃってたから(笑)。でも、初めて羽田空港に降り立った時は雪がパラパラ降っていて、こんなに寒くて大丈夫かな? って思ったよ」

 当時を思い出して、ジェシーは首をすくめる。

 一方、受け入れ側の高砂部屋は大騒ぎだった。ハワイから外国人が入門する。いったいどんなヤツなんだろう? 部屋の床山(相撲部屋に所属し力士の髷を結い上げる者のこと)で、のちに特等床山となった床寿(とこじゅ)氏は、こう振り返る。

「外国人だから、きっと金髪だろう。金色の髷を結うのは楽しいだろうなぁって期待してたんだよ。でも、ジェシーは黒髪。ガッカリしたねぇ(笑)」

 ハワイからやってきたこの異色の力士には、幕下力士が専属コーチとしてつくなど、部屋一丸となっての英才教育が始まった。生来、体が硬いジェシーは、相撲の基本、股割りが大の苦手。それでも彼は、涙ならぬ「汗」を大きな瞳から流しながら、真摯に取り組んだ。

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