「アホと呼ばれることに複雑な思いが」「一人暮らしの部屋でイグアナに癒やされていた」 坂田利夫さんの知られざる素顔
アホという言葉には関西では親しみの意味が込められる。坂田利夫さんの場合、芸名より「アホの坂田」の愛称の方が通りが良かった。
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前田五郎さんと1967年に漫才コンビ「コメディNo.1」を結成。ある日、舞台で言葉に詰まった坂田さんを前田さんは「お前、アホか」となじった。反撃するところを坂田さんは「そうや、アホや」と受け止めた。偶然のやりとりを観客はネタと思って大爆笑した。
72年にはキダ・タローさん作曲の「アホの坂田」がヒット。あまりの反響に全国の坂田君がアホ呼ばわりされる社会現象に発展した。
「ほんまにアホなのかも」と思わせる力
放送作家の大河内通弘さんは振り返る。
「藤山寛美さんはアホを演じる天才で、見る人もそれを分かっていた。坂田さんには、ほんまにアホなのかもしれないと思わせる力がありました。アホの芸に照れがあるとしらけてしまう。芸でやっていると感じさせないほど、お客さんに楽しんでもらうことに徹底していました。実際はアホとは違う。状況判断ができ、すぐに対応できる芸人です」
41年、大阪生まれ。本名は地神(じがみ)利夫。実家はワイヤーロープの製造業を営んでいた。高校卒業後、溶接工など20近くもの職を転々とする。吉本新喜劇の研究生に応募し、64年にデビュー。1年先輩の西川きよしさんと親しく、西川さんが妻のヘレンさんと新婚生活を送る4畳半の部屋に居候した時期も。西川さんに漫才を勧められ、前田さんと「コメディNo.1」を結成する。
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