「残された時間で子どもの魂に帰還したい」 横尾忠則が年末年始にいつも考える「生死と輪廻」
また年が明けました。今年は88歳か。父は69歳、母は74歳で寿命を終えました。その息子は両親よりうんと長生きしてしまった。この後、まだ少しは生きそうです。まさか90歳を越えるとは思えませんが、運があれば、90代を体験できるかも知れません。画家は長生きすればするほど、本人の考えが及びもしない、面白い絵が描ける可能性があります。線がちゃんと引けない、色がはみだす、こんなハンディが全て絵の魅力になって子供の絵に近づいていきます。エゴが失くなって、子供のように無垢な状態になるのです。この状態を経験しないで死んでしまうのは画家として勿体ない。
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北斎が90歳の時、あと10年延命させてくれれば宇宙の真理に到達すると願ったものの願望がかなえられず死を迎えてしまいましたが、あと10年すれば本当の幼児に戻れるということだったと思います。幼児は生まれながらにして宇宙的存在なのですが、親や学校や社会の洗礼を受けて、宇宙的存在であったにもかかわらず、段々地球的存在になってしまって、理屈ぽい人間になって、その頂点に達した頃に、ハタと間違った生き方をしてしまったと気づく。そして、その頃は生の賞味期限も切れていることに愕然として、この世から去ることになるというわけです。
つまり未完のまま終ってしまうのです。でも肉体的存在から離脱しても、この後に人間は霊的存在になるのです。そんなことを信じる人はわずかで、多くの人は肉体の消滅が一巻の終りと決めつけて嘆き悲しみながら生を終えるのですが、僕はそうとは思いません。これからが人生の本番の始まりです。生とは死の旅に出るための旅仕度なんです。100年近くかけて死ぬための旅の準備をするのです。
ですから、いい加減な旅仕度で出て行くと、旅の途上で遭遇するだろう難所を越えられません。とまるで僕は見て来たようなことを言っていますが、実際見て来たのです。僕でなくとも皆んな見て来ているのです。でもそのことを大方の人達は忘れてしまっているのです。
何の話や、と思ってらっしゃる方が大半でしょうが、われわれはかつて、何度も何度も死んだ経験があるのです。その時の経験を僕は今語っているのです。宇宙にはアカシックレコードという記憶装置があります。記憶のマザーコンピューターみたいなもので、そこに意識の焦点を当てると輪廻転生の記憶にアクセスできる仕掛けになっているのです。でも輪廻転生を信じていないと、それ以前にこの宇宙的法則を現世的知性が否定してしまうので、こんな馬鹿馬鹿しい話はアーティストの妄想だと、頭から切り捨てられてしまうというわけです。
ここではアカシックレコードのメカニズムには触れませんが、否定的根拠が強いために、こんな話は非現実的な異世界の話にされてしまっているのです。
まあ信じる信じないはあなた次第として、先きに進みます。つまり、こういうことです。われわれがこの現世に生を授かる寸前までは実は死の世界にいたのです。この世界にいた以前をわれわれは前世と呼んでいるのです。前世で生を全うしたあと、死の世界で、しばらく(何十年、何百年)休息してから、霊魂である「私」が、再び現世の両親の元で再生します。これが輪廻転生の法則です。
ですから、現在生きているわれわれは、寿命が来ると、生の世界である現世から死の世界へ、肉体を脱ぎ捨てて、霊魂として、あちらの世界に移行するのです。人間は肉体的、精神的存在であると同時に霊魂的存在でもあり、この霊魂こそが人間の本体というわけです。たった今、生存しているわれわれの本体は肉体と精神だと思っていますが、実は本体は霊魂的存在なのです。その本体が、生死の間を輪廻し、転生しているのです。
と考えると、この生の時間が如何に重要であるかが理解されますよね。この生の時間の生き方がそのまま死の世界の生き方に反映するというわけですから、死んだら「どうなる?」かは本人が一番よくわかっているはずです。
年末年始には僕はいつもこんなことを考えています。ですから北斎じゃないけれど、残こされた時間にできるだけ宇宙を想起し、子供の魂に帰還できるような時間を生きたいと思うのです。そして一番の理想は輪廻も転生も繰り返さないことです。繰り返すということは魂の進化が未完なのです。肉体的に生きているということ自体が魂の進化の途上にあるということです。未完で生まれて、完成を目指して、死ぬのが理想です。それが生と死を超越した不退転です。さて、2024年はまだ輪廻の途上の年です。いつ輪廻のサイクルから脱却できるか? 人生に目的があるとすれば、これが目的でしょうね。悪い初夢だと思って聞いてもらっても結構ですよ。