長い下積み時代、常に大切にしていた言葉、ステージが終わった夜はいつも…努力を重ねた八代亜紀の生き方

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日本レコード大賞の開催日に

 さて、八代さんの病気であるが、所属事務所によると、昨年8月下旬に体調不良を訴えて複数の病院を受診。膠原病の一種である免疫異常の指定難病にかかっていることが判明した。心配だった筆者は事務所社長に連絡をとったが、「大丈夫です。一日も早い復帰を目指し、治療とリハビリに励みます」。八代さん自身も「少しの間、大好きな歌と絵から離れなきゃいけないのは寂しいけれど、必ず元気になって戻ってきますので待っててね」とコメントを発表。2024年になれば、また元気な八代さんに会えると信じていただけに、容体が急変するとは事務所のスタッフをはじめ誰も思っていなかったに違いない。

 2023年12月30日、急速進行性間質性肺炎のため死去 。くしくも、日本レコード大賞が開催された日だった。享年73。

 あまりに突然の死に、歌謡界は悲しみに包まれた。長く親交のあった小林幸子さん(70)は「なんで! なんで! なんでなの? 今はこの言葉しか出てきません。頭が真っ白で、言葉が見つかりません」とSNSに想いを綴った。激しく動揺してしまったに違いない。同じ銀座のクラブで歌った五木ひろしさん(75)も「下積み時代から50数年間頑張っている姿をずっとそばで見てきました。心から敬意を表したいと思います」とコメントを発表した。

 あまり詳しくは書かないが、2021年には事務所社長でもあった夫と離婚。つらい気持ちを表に出すことは嫌った人だったが、身を切られる思いだったに違いない。

 事務所によると、葬儀は八代さん自身の強い遺志により、スタッフのみで1月8日に執り行われた。とても穏やかな顔で旅立ったという。

 人々の代弁者として歌を歌い、表現者として絵を描き続けることを愛し続けた73歳の人生。常に大切していたのが「ありがとう」という言葉だった。療養期間仲も、スタッフや医療従事者の方々に「ありがとう」と感謝の言葉を伝えていた。

 貧困、流浪、差別、因習……。戦後の日本人が封印してきた世界を思い起こさせる歌もあった。冷たい風が吹きすさぶ海沿いの小さな居酒屋こそ、八代演歌は似合った。

「80歳になっても90歳になっても、『舟唄』を歌いたい」

 その言葉が今、筆者の胸に重くのしかかる。

 次回は女優の夏目雅子さん(1957~1985)。10年に満たない女優人生だったが、数々の名作を残していった。享年27。その永遠の微笑を追う。

小泉信一(こいずみ・しんいち)
朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴35年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)、『絶滅危惧種記者 群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。

デイリー新潮編集部

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