「子どもは珠洲に帰りたくないと言っていたのに…」 能登半島地震、妻子四人を失った警察官の悔恨

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「津波に追い付かれて波が頭の上まで」

 地震で家族を失った後、スタッフとして避難所の運営にあたっている人もいる。珠洲市宝立(ほうりゅう)町で同居する義兄・市町(いちまち)衆司さん(89)を亡くした市町俊男さん(75)だ。地震発生時、自宅には二人の他、俊男さんの妻と実姉がいた。

「揺れがおさまった後、大津波警報が出たので玄関から四人大慌てで逃げました。ウチは鵜飼(うかい)の浜辺のすぐ近くに立っていますから」

 俊男さんが振り返る。

「海から離れるためにバス通りの方に向かうのですが、ウチからバス通りに出る道は幅1.5メートルほどの小路ばかり。ようやく倒壊家屋でふさがれていない小路を見つけて走り込んだのですが、そこで津波に追い付かれてしまった。小路に津波が入り込んだことで波が一気に高くなり、私の頭の上まで海水が来ました」

 もうダメだ、と観念しかけた時、津波が引いた。

「私と妻と姉は宝立小中学校に逃げられたのですが、義兄は津波に追い付かれた時に見失ってしまいました。義兄は昨年脳梗塞を患ってから歩くのに不自由していたので逃げ遅れてしまったのかもしれません。遺体は3日、バス通りに出る小路で見つかりました」

直視できない遺体

 被災地に刻まれているのはこうした悲劇ばかりではない。6日には、珠洲市正院(しょういん)町で坂下ヨシ子さん(93)が約124時間ぶりに救出される「奇跡」も起こっている。だが被災時、坂下さんの家にはヨシ子さんの長男や、金沢から帰省していた三男、孫やその妻などもいた。地震後、ヨシ子さんと孫の妻が倒れた家屋に埋もれ、ヨシ子さんは一命を取り留めたものの、孫の妻は助からなかった。

「その女性は上から倒れてきた建物から身を守るように、手を体の前で構えたような体勢で発見されました」

 そう話すのは、現場で捜索活動にあたった消防士。

「見た瞬間、これは亡くなっているなと分かりました。消防士の仕事は人の命を救うことですが、この災害では守り切れない命があまりに多い。ふと一人になった時や救助活動の最中に気付くと涙を流していることもあります」

 いまだ撤去作業が進まず、時に吹雪に見舞われる被災地のがれきの山。そこには死者の無念と、生き残った者の悲嘆がしみ込んでいる。

週刊新潮 2024年1月25日号掲載

特集「『能登大地震』絶望を生きる」より

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