「子どもは珠洲に帰りたくないと言っていたのに…」 能登半島地震、妻子四人を失った警察官の悔恨

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「百人一首やトランプをして楽しい年越しだった」

 珠洲市の外浦(そとうら)側にある大谷(おおたに)地区に住む角田壽子さん(77)は、息子・貴仁さん(48)の妻の裕美さん(44)と、孫の啓徳くん(9)を亡くした。二人の遺体はやはり、金沢市まで運ばれた。

「31日の晩に金沢から息子たち夫婦が来たんです。それで私の夫を含めた五人で楽しく過ごしていました。孫と百人一首やトランプでダウトをやったり、楽しい年越しでした」

 角田さんが振り返る。

「お正月には、私が作った数の子や煮物、黒豆などをみんなで食べました。夕方ごろ、孫はうどんを食べていました。息子は、“用事があるから2日には金沢にいないといけない”と言い、帰り支度を始めていました。私は冷凍した料理やお餅を持たせようと廊下を行ったり来たりしていて、息子の妻の裕美さんは孫と居間にいました。私の夫と息子は別のところにいました」

助けを求める声がしたが…

 地震による強い揺れが襲ってきたのはその時だった。

「私の上に家具か家の一部が落ちてきたみたいで、左肩の骨がずれてしまいました。私はその程度で済んだのですが、居間のほうが崩れた。息子も駆けつけて名前を呼んだけれど、返事がない。ただ、孫が声を上げられず机か何かを手でパチパチとたたき、助けを求めている音が聞こえました。居場所を知らせるため、何かをたたいているのです」

 しかし、その音もやがて聞こえなくなってしまった。

「息子は靴下だけやのに、ガラスとかが散乱する中に入っていって、必死に孫を助け出そうとしました。通りがかった人にノコギリを借りて何とか助け出そうともしたけど無理でした。それから消防の人が6、7人来て捜索を始めてくれました。寒かったけど、孫がかわいそうで、寒い中置いてゆかれないから、1日の夜は家のそばにテントを張ってそこで寝ました」

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