“人的補償騒動”の和田毅が44歳のシーズンへ突入…40代で活躍した名投手はこんなに凄かった!

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異なる球団で2年連続日本一を達成

 40歳以上の通算勝ち星ランキングで、前出の山本昌の40勝に次いで歴代2位の38勝を挙げたのが、西武、ダイエー、巨人、横浜の4球団を渡り歩いた工藤公康である。

 西武時代の工藤は、1991年の16勝をキャリアハイに二桁勝利を7度記録し、10年間で優勝9回、日本一6回の黄金時代を支えた。ダイエーにFA移籍後も、在籍5年間で通算49勝。11勝を挙げた99年には、自身4度目の最優秀防御率と2度目の最多奪三振とともに、ダイエーの初のリーグ優勝と日本一に貢献した。

 そして、“優勝貢献人”として巨人にFA移籍した2000年にも12勝5敗で最高勝率に輝き、異なる2球団で2年連続日本一を達成した。

 40代になっても、04、05年と2年連続二桁勝利を記録し、04年8月17日のヤクルト戦で史上最年長の41歳3ヵ月(2008年に42歳11ヵ月の山本昌が更新)で通算200勝を達成した。さらに横浜時代の07年には、7月24日の巨人戦で勝利投手になり、史上初の近鉄を含む全13球団から白星を挙げた投手になった。

 長年愛用した背番号と同じ47歳になった10年には、16年ぶりに西武復帰(西武では背番号55)も、登板10試合で0勝2敗、防御率10.50に終わり、47歳3ヵ月の10年8月25日のロッテ戦が現役最後のマウンドとなった(引退発表は西武退団後の11年12月)。

30代半ばの「メジャー挑戦」で大成功

 45歳まで現役を続け、史上最年長セーブと右投手の史上最年長勝利を記録したのが、斎藤隆(横浜、ドジャース、楽天など)である。

 横浜時代の1998年に13勝1セーブでチームの38年ぶりリーグ優勝と日本一に貢献した斎藤は、2001年からメジャー移籍した佐々木主浩に代わって守護神を務め、2年連続20セーブ以上をマークした。

 だが、35歳の05年オフ、斎藤は「1度でいいからメジャーのマウンドに立ちたい」と野球人生最後の夢を叶えるため、ドジャースとマイナー契約を交わす。先発復帰後の3年間で11勝しかしていない現実を考えると、無謀な挑戦に思えたが、本人はたとえメジャー登板できなくても、納得してユニホームを脱ぐつもりだった。

 ところが、ここから輝かしき野球人生の第二幕がスタートするのだから、人間の運命は本当にわからない。

 1年目の06年、3月に3A行きを通告された斎藤は、開幕後、クローザーのエリック・ガニエが故障者リスト入りしたことから、代役に抜擢され、球団新人記録の24セーブを記録。翌07年にもリーグ3位の39セーブを挙げ、メジャー在籍7年間で4度のプレーオフ進出をはたした。

 さらに13年から楽天で2年連続30試合以上に登板し、14年7月2日のオリックス戦で44歳4ヵ月の史上最年長セーブを記録、同年7月21日の西武戦では右投手では史上最年長の勝利投手になった。

 そして、45歳7ヵ月の15年10月4日のソフトバンク戦で、細川亨を3球三振に打ち取り、日米通算1731個目の三振で現役ラスト登板を締めくくっている。

 昨季までに40歳代で通算20勝を記録したソフトバンク・和田は、今季1勝を挙げた時点で、歴代4位の下柳剛(ダイエー→日本ハム→阪神→楽天)、黒田博樹(広島、ドジャースなど)と肩を並べる。どこまで記録を伸ばすか注目される。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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