“人的補償騒動”の和田毅が44歳のシーズンへ突入…40代で活躍した名投手はこんなに凄かった!

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50歳1ヵ月で公式戦のマウンドに

“松坂世代”最後の現役選手、43歳の和田毅(ソフトバンク)。年明け早々、FAで移籍した山川穂高の人的補償報道で話題になったが、今季もソフトバンクでプレーすることになった。高校時代からのライバルで、1年先輩の石川雅規(ヤクルト)とともに息の長い現役投手として存在感を示しているが、過去にも40代半ば前後からアラフィフにかけて活躍を続けた投手がいた。【久保田龍雄/ライター】

 史上最年長の50歳1ヵ月で公式戦のマウンドに上がったのが、中日・山本昌である。32年間の現役生活で通算219勝のレジェンド左腕は、けっして順風満帆の野球人生ではなかった。

 入団3年目の1986年10月16日のヤクルト戦で1軍初登板をはたすも、翌87年までの2年間で登板4試合、0勝0敗、防御率19.29と結果を出せず、翌88年春のベロビーチキャンプで、交換留学生として現地に残るよう言い渡された。

“野球留学”と言うと聞こえはいいが、提携関係にあるドジャースとの友好を保つため、戦力と見なしていない選手を島流し同然に置いていく事実上の戦力外通告だった。当時中日の主砲だった落合博満氏も、昨年8月に自身のユーチューブチャンネルで、星野仙一監督が「今年一杯でもう整理する選手だ」と語っていたことを明かしている。

史上最年長でのノーヒットノーラン

 だが、この逆境のどん底で、ドジャースの世話役・アイク生原氏のアドバイスでスクリューボールを習得したことが、山本の野球人生を大きく変える。

 新球を武器に先発ローテーションに定着した山本は、1Aのオールスターに選ばれるまでに急成長。この活躍を知った中日は、投手不足を補うため、急きょ8月に山本を呼び戻した。チーム復帰後の山本は、シーズン終盤で無傷の5連勝を記録し、6年ぶりVの大きな力になった。

 以後、1993年の投手三冠(最多勝、最高勝率、最優秀防御率)をはじめ、94、97年にも最多勝を記録。40代になっても2006年と08年に二桁勝利を挙げ、06年9月16日の阪神戦で、史上最年長の41歳1ヵ月でノーヒットノーラン、10年9月4日の巨人戦では史上最年長の45歳0ヵ月での完封劇を実現した。

 さらに、浜崎真二(阪急)の48歳10ヵ月を更新する史上最年長出場の49歳0ヵ月で登板した2014年9月5日の阪神戦では、5回無失点で勝利投手になった。

 そして、翌15年、NPB史上初の50代の支配下選手となった山本は、10月7日の広島戦に打者1人限定で先発、先頭打者の丸佳浩を二ゴロに打ち取り、現役最後のマウンドに花を添えている。

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