4000万円裏金で略式起訴された谷川弥一議員 関係者が指摘する「学歴コンプレックス」と「負けん気の強さ」の落とし穴
安倍派の政治資金パーティーを巡り、派閥から4000万円超の還流を受けていた疑いで谷川弥一衆院議員が略式起訴された。本人は自民党を離党し、議員辞職する意向というが、なぜこのような資金集めに手を染めてしまったのか。
***
永田町では珍しい「高卒国会議員」
谷川氏は1月19日、安倍派の一連の裏金問題で4000万円を超える派閥からのキックバックを政治資金収支報告書に記載しなかったとして、政治資金規正法違反の疑いで略式起訴された。
「安倍派所属議員のうち、多額の還流を受けていた議員は立件される方針でした。すでに同派の池田佳隆議員は4800万円のキックバックを受け取ったとして、政治資金規正法違反で逮捕されています。それに近い金額のキックバックを受けていた谷川議員も立件対象として捜査が進められていたんです」(社会部記者)
簡単に経歴を振り返っておくと、谷川氏は長崎県の五島市出身。県立長崎東高等学校を卒業した後、家業の製材所を手伝うようになる。1971年、谷川建設を創業し、1987年に長崎県議に初当選。2003年に長崎3区で初当選した。
つまり、永田町では珍しい「高卒国会議員」なのだ。
その谷川氏が不評を買ったのは先月10日のことだった。地元の長崎県で一連の疑惑について、ぶら下がりを行った。しかし、質問を重ねる記者に対し、
「頭悪いねえ? 言っているじゃないの。質問しても、これ以上、今日言いませんと言っているじゃない」
と苛立ちを隠さない様子がテレビなどで報じられ、総スカンを喰らったのだ。
“そうなってたまるか”
「昔からああなんですよ、最初から言わなきゃいいのにねえ」
と、苦言を呈すのは谷川氏の元秘書である。
「県議時代、議長に就いて威張っていたこともありました。地元の新聞社がちょっと批判的なことを書くとガーッと怒る。その度に秘書が“口は悪いけど人はいいから、申し訳ないね”って菓子折り持って尻拭いに回らなきゃいけなかったんですよ。県の職員や秘書に対してもそう。県議なのに副知事に噛み付いて、ケチョンケチョンに言い負かしたこともある。でもその後、本人が“すみませんでした”って謝りに行って、憎めないところもあるんだけどね」
もともと負けん気の強い性格だったと、谷川氏の知人がこう語る。
「弥一さんは厳しい人だけど、基本的に努力家です。本が大好きで、歴史小説をよく読んでいた。亡くなった奥さんと新婚旅行に行く時も弥一さんが本を山のように持って行って、そればっかり読んでいて全く喋らない。それで奥さんは呆れちゃったそうですよ。長崎の高校に通った後、故郷に戻って家業の材木屋を継いだんだけど、ある時、東京の大学に行った同級生から“田舎の五島にいたらなんにも出来ねぇだろ”って言われて、悔しくて長崎市に自身の建設会社を立ち上げたらしい。とにかく向こうっ気が強くてね。会社を立ち上げて間もない頃、大手建設から下請けの話があったんですよ。会社としては喉から手が出るほど美味しい話だったのに、弥一さんは“そんなもん受けてたらウチは一生下請けだ。そうなってたまるか”って蹴っちゃった」
政治家になってからのパーティー券はその谷川建設の関係者である地元の建設業者や谷川建設の下請け業者らに買わせていたという。
[1/2ページ]