「撮影後に篠山先生がかけてくれた言葉は…」 壇蜜、加納典明が明かす篠山紀信さんの素顔
篠山さんを象徴する作品
68年、ライト社を退社しフリーに転向した篠山さんは以降、週刊プレイボーイや月刊明星などの商業誌を舞台に山口百恵(64)や松田聖子(61)など時代の象徴を多数フレームに収めた。後に妻となる南沙織(69)とも明星の仕事で出会っている。
70年に自決した三島由紀夫を死の数カ月前まで撮影。80年にはジョン・レノン&オノ・ヨーコのアルバム「ダブル・ファンタジー」のために二人のキス写真を撮り、それは世界的な一枚となった。
だが、やはりある世代より上の日本人なら、篠山さんの名前を聞いて連想するのは官能的な写真群だろう。きっかけとなったのは91年に手掛けた樋口可南子(65)の写真集だ。
「彼が撮った樋口さんの鏡に映ったヘアの写真ね、あれがすごく自然でいい作品だった。そこからヘアも許容されたんじゃないかな」(沢渡氏)
18歳の宮沢りえを
しかし、最も「ヘアの写真」を世間に浸透させたのは同年発売、当時弱冠18歳の宮沢りえ(50)を撮影した「Santa Fe」である。
「オシノは俺の二つ上だけど、俺もりえは撮ったことあるし、ほかにも同じ被写体を撮ったりしていて、同じ時代を駆け抜けたライバルだと思っていた」
とは写真家の加納典明氏(81)だ。
「ただ、オシノと俺は系統が違う。オシノは正統派。自分は問題ある写真ばかり撮っていたから」
もっとも篠山さんも08年、港区・青山霊園の墓所で女性の裸を撮影したとして公然わいせつなどの罪で10年に略式起訴されており、その仕事にはタブーなどなかった。
過去に何度も篠山さんの被写体になった壇蜜さん(43)はこう追悼する。
「篠山先生との撮影はいつも演者の一人になったつもりで“篠山先生劇場”の中に入れてもらっているようなイメージでした。撮り終わりにおっしゃる“そう、それでいいの”というフレーズをもらうと安心したものです。先生、寂しいです。お別れ、つらいです。ありがとうございました」
被写体にも愛された人生だった。