「大恐慌の時代は良かった」――「経営学の神様」ドラッカーが戦前のアメリカを評価した「意外な理由」

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 1929年にアメリカの株価暴落をきっかけに始まった大恐慌。その苦境からアメリカが完全に立ち直るのは、第2次世界大戦を待たねばならなかった。

 しかし、戦後の国際政治学をリードした高坂正堯氏(1934~1996年)によれば、「経営学の神様」とも言われたピーター・ドラッカーは、戦後の好景気に沸いたアメリカよりも、戦前の大恐慌に苦しんだアメリカの方が良かったと語っていたという。
 
 それはなぜか――高坂氏が1990年に行った「幻の名講演」を初めて書籍化した新刊『歴史としての二十世紀』(新潮選書)から、一部を再編集して紹介する。

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 アメリカは大恐慌で大変苦労しましたが、三つくらいプラスになったことがありました。
 
 一つは、当時のアメリカ人が持ち前の勤勉さに加えて、謙虚にもなったことです。職がない証明を見せれば失業保険をもらえたのですが、もらいませんという人間がたくさんいたのです。職があっても、ばれなければ手当をもらってよいとなったら、世の中は終わりですが、職がなくて食べていけないという証明書を交付されるのは精神的苦痛であるというのが、アメリカ社会の雰囲気だったのです。

 建国以来、南北戦争などの例外的な出来事を除けば、アメリカ社会はトントン拍子といっていいほど順調でした。それが、恐慌という大問題が起こり解決策が見いだせない中、人間の知恵には限りがあると悟るようになった。私が敬愛するピーター・ドラッカーは経営学者として有名ですが、実際は歴史家、政治学者、経済学者でもあります。彼が回想録でこんなことを語っています。

「アメリカの大学は1950年代がよかったというが、私はそうは思わない。1930年代の方がよかった。1950年代から60年代にかけて、アメリカには自信過剰なところがみられた。1930年代の方が小さくて、まとまっていて、みんな真剣だった」と書いています。
 
 ドラッカーは、マルクス主義者や左翼が嫌いです。1930年代、アメリカ社会は露骨なところがあって、左翼が威張って保守派の先生を吊し上げました。したがって、冷戦期に赤狩りが起こったときに、左翼に冷かったのは「あの時、偉そうな顔しやがって」という気持ちがあったのでしょう。大学における「学問の自由」は守るべきとも思ったでしょうが、マルクス主義者や前にいびり出した人間には、天罰が下ったと感じていたかもしれません。
 
 その左翼嫌いなドラッカーが、それでもやっぱり1930年代のアメリカは謙虚でいい時代だったと書いている点が、この思い出話の特筆すべき点です。

 もう一つは、公共の精神をある程度重視する気風が生じた。アメリカは元来、個人主義で、個々で頑張ればいいじゃないかという気風があります。裏を返せば、お上、政府のために働くことが比較的ない国です。『アメリカの民主主義』を著したアレクシ・ド・トクヴィルも150年前に、「アメリカというのは会社を大きくしたみたいな国だ」、「アメリカ全体で商売をやっている」というようなことを指摘しています。

 みんなばらばらで、安全保障は関心なし、外交はしなくてもいい。各々が経済活動だけして世の中うまくいけば結構ですが、不思議なもので、誰かが公共のため役に立つことをしないと、長期的に社会は駄目になる。ニューディール以降、ワシントンに集まった若手官僚の中に公共のマネージャーとなる人がいました。彼らなしに、戦後の対外政策はよくならなかったでしょう。

 最後の一つは、通商政策に関してアメリカ議会の制度が変わったことです。1930年代、関税の引き上げ引き下げを大統領に授権する貿易法案が通り、決定権が議会にあるので必要な法案が決まらないという状況が是正されます。議会は何の文句もつけず、「大統領さん、よろしく頼みます」となり、その後、アメリカは戦後自由貿易のリーダーとなれたのです。ただし、大統領に関税引き下げ交渉権限を与えるが、注文が1000ページにも及ぶことも最近は少なくなく、改善前に近くなってきました。

 苦労の真っ只中にいる人は、出口がどこにあるのかわからない。苦労はしない方がいいかもしれませんが、もがき苦しんだおかげで立派になれたというケースも世の中にはままあります。20世紀初頭のアメリカはまさにそうで、「狂騒の20年代」のまま偉い国に成長することはなかったでしょう。日本もまっとうな国になるには、そろそろ相応の苦労をした方がいいかもしれません。

※本記事は、高坂正堯『歴史としての二十世紀』(新潮選書)の一部を再編集したものです。

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