驚異の人口増加率 千葉県流山市になぜ人が集まるのか? 注目を集めている“駅のスゴい仕組み”
昨年暮れに発表された2050年までの人口動態推計は、全体として縮みゆくニッポンの姿をまざまざと見せつけた。
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日本の総人口は2020年に対して17%減の1億468万人となり、秋田県は6割弱の規模に縮小する。市区町村別にみると、市区町村全体の95.5%で人口が減少し、中には4分の1にまで人口が減り、もはや自治体としての機能を維持することが困難になりそうなところもある。
だが、その中で、じつに20.9%もの人口増(東京都中央区に続いて全国で2位)が見込まれる驚異の自治体がある。千葉県流山市。東京都内でさえ一部では人口減が見込まれているのに、いったいなぜここまで高評価なのか。かつてはどこにでもある東京近郊のベッドタウンの一つにすぎなかった同市だが、「母になるなら、流山市」をキャッチフレーズに、近年めざましい発展を遂げているのだ。
なぜ流山に人が集まるのか。その秘密をくわしく描いた『流山がすごい』(大西康之著)から一部を引用して紹介しよう。
送迎保育ステーション
月曜日午前7時の流山(ながれやま)おおたかの森駅。東武アーバンパークライン(東武野田線)と、つくばエクスプレスが交わるコンコースで人の流れを観察する。制服を着た園児の手を引いたお父さんお母さんが、改札とは反対側のビルに続々と吸い込まれていく。
数分すると親だけがビルから出てきて、足早に改札に向かう。園児の制服や鞄がバラバラだ。同じ保育所に預けているわけではないらしい。
早朝に親子が向かったのは流山市が市内の社会福祉法人に委託して運営している「送迎保育ステーション」。仕組みはこうだ。
午前7時から7時50分の間に、駅前ビルの3、4階にある送迎保育ステーションに子供を連れていく。午前8時、市内各所の保育所に通う子供達がルートごとに送迎バスに乗り込み、9時までに全員が自分の保育所に送り届けられる。
午後4時、送迎保育ステーションを出発したバスが市内各所の保育所を回って子供達をピックアップし、午後5時までに送迎保育ステーションに送る。仕事帰りの親は午後6時までに迎えに行き、家路につく。
流山市民は1日100円、月額最大2000円でこのサービスを受けられる。送迎保育ステーションは通常の保育所も併設しており、お迎えが遅れても午後7時までなら100円、午後8時まででも30分500円の追加料金を支払えば延長保育で預かってくれる。
流山市がこのサービスを始めたのはつくばエクスプレスの開通から2年後の2007年。最初はバス2台で始めたが、利用者がどんどん増え、翌年には南流山駅にももう一つの送迎保育ステーションができた。今は8台のバスが走っている。流山市在住なら1歳~5歳の誰もが利用できる。ピークの登録者は200人以上。2018年には延で5万人弱が利用した。その後、コロナ禍で利用者は減ったが、感染拡大が収まれば再び増えるだろう。
2022年の5月、筆者は都内の会合で知り合った人事コンサルタント会社で役員を務める女性とこんなやり取りをした。
女性役員「お住まいはどちらですか」
筆者「流山です」
「ああ、この間、テレビでやってましたね。子供が増えてるって。どうしてですか?」
筆者が斯く斯く然々と送迎保育ステーションの説明を始めると女性は慌ててバッグからメモ帳を取り出した。
「え、駅前で子供を預かってくれるんですか? 帰りも。もう一度お願いします。朝は7時からで、夜は何時まで?」
「原則6時で、8時まで延長できるそうです」
「へえ、8時まで。明日、電話してみます」
彼女は業界では名の通ったコンサルタントで、大企業の人事部を相手にバリバリ仕事をしている。都内に住んでいて、就学前の2人の子供を抱えており、ようやく保育所を見つけたが1人ずつしか空きがなく、兄弟で別々の保育所になった。朝、二つの保育所を回って駅にたどり着くのに小一時間かかる。帰りも同じ。多忙を極める彼女にとって2時間のロスはあまりに痛い。
実はこの送迎保育ステーションを始めたのは流山市が最初ではない。しかし一足先に始めた横浜市では、幹線道路の渋滞がひどく園児を定時に送り届けることができなかった。また他の自治体では「送迎の対象は公立の保育所だけ」というところが多く、利用者から「使い勝手が悪い」と批判が集まっている。
流山市長の井崎義治は最初から私立の保育所にも門戸を開き、利便性を高めた。すると前記のコンサルタントの女性のように、送り迎えに膨大な時間を割いていた子育て世代の間で「流山の送迎保育ステーションは使い勝手がいいらしい」とクチコミで評判が広がった。
6年連続人口増加率トップ
「保育園落ちた日本死ね!!!」の匿名ブログが全国の注目を集めたのが2016年。日本の共働き子育て世帯の多くが「保育園難民」と化していた。千葉県の北の端に位置する流山市は、その10年前から子育て世代の支援に着々と手を打っていた。
2010年、市内に17ヶ所しかなかった保育園は12年後の2022年、100ヶ所に増えた。2003年に流山市長になった井崎が「共働き子育て世代の基本的インフラとして保育園を整備せよ」と号令をかけたからだ。2021年に「待機児童ゼロ」を達成した。
ここまで急激に保育園を増やすと、当然、問題になるのが保育士の確保だ。流山市は十分な人数の保育士を揃えるため、保育士を厚遇することにした。
まず「処遇改善」として市から毎月4万3000円の補助が出る。流山市で新たに保育士になると「就労奨励金」として最大30万円が受け取れた(この制度は2022年度で終了)。さらに最大6万7000円の家賃補助(国が2分の1、市と事業者が4分の1を負担)も出る。特別なケアが必要になる要配慮児童を預かる園は保育士の数を増やす必要があるため、市が追加の人件費を負担する。こうした児童を受け入れる園を含め障がいの診断を受けた子供を対象に配置される加配保育士を置いている園は60ヶ所を超えている。
こうして「保育の楽園」になった流山市には保育園難民となった首都圏の子育て世代が一斉に押し寄せた。その結果が現れたのは2016年。総務省が発表した人口動態調査で、流山市の人口増加率(2.49%増)が全国の市の中でトップに躍り出たのだ。
流山市はその後も、毎年、全国の市の中で「人口増加率首位」を維持し続け、2021年まで6年連続の首位を達成した。
千葉県のマスコットは県の地図を犬に見立てた「チーバくん」。県北西部、茨城県や埼玉県に近い流山市は、野田市とともに、チーバくんの鼻の先を構成している。道路や鉄道の開発が遅れ、かつて「千葉のチベット」と呼ばれた地域である。
「千葉のチベット」の中でもとりわけ辺鄙と言われた流山市。その流山市が変わるきっかけになったのは2005年のつくばエクスプレス(TX)開業だ。市内に「南流山」「流山セントラルパーク」「流山おおたかの森」の3駅ができ、駅周辺で一気に土地区画整理が進んだ。TXと東武アーバンパークライン(東武野田線)がクロスする流山おおたかの森の駅前には巨大ショッピングセンターや大型のマンションが林立し、今や「千葉のニコタマ(ヤングセレブの街として有名な世田谷区二子玉川の略称)」と呼ばれている。
TX開業時に約15万人だった流山市の人口は、2021年に20万人を超え、22年には20万6000人。この10年で3万8000人増えた。
人口増は不動産の資産価値も大きく押し上げ、更地の一坪(約3.3平方メートル)単価が「流山おおたかの森駅」から10分程度で約110万円。3LDKの中古マンション(築10年程度)については同駅から5分程度で約4800万円と、ともに5年前の1.5倍に上昇した。地元不動産会社の社長の岡村徳久は「TX沿線には都内の駅もあるが、治安などを考えて、流山が選ばれる」と解説する。
経済ジャーナリストの視点
筆者が流山市に移り住んだのは1993年。TXはまだ開通しておらず、常磐線柏駅で乗り換える東武アーバンパークラインの江戸川台駅から徒歩10分の場所に小さな一戸建てを立てた。通勤時間が1時間強に収まる都心から30キロメートル圏内で最もコストパフォーマンスの良い街を探したら、ここに行き当った。
以来、現在に至るまでずっと流山市民である(1998年から2002年までロンドンに赴任していたので4年間のブランクがある)。まさか自分の住む街が「6年連続人口増加率日本一」になるとは思ってもみなかったし、「千葉のニコタマ」と言われてもなんだかピンとこないのだが、一つだけ実感していることがある。子供の数がとんでもない勢いで増えているのだ。
あれは2010年頃の出来事だった。
筆者は2002年に流山市に戻った後、小学生の長男が入った地元のサッカー少年団で週末にボランティア・コーチをやり始めた。東京のベッドタウンとして街が発展していた1980年代に作られたこのチームには、最盛期1学年に30人近い子供が集まっていた。小学1年から6年で総勢180人の大所帯だ。
筆者がコーチになった頃はすでに子供の数が減り始め、1学年25人前後、11人制で2チーム組むのがやっとの状態だった。その後も子供の数は減り続け、20人集めるのが精一杯という状況になっていた。
ところが2010年のある時、近隣の大会に参加すると市内のライバルチームの人数が急激に増えていた。
「なんか、いっぱいいるねえ。何人なの」
「いや今年になっていきなり増えて、今48人」
「すげー。ビッグクラブじゃん!」
「いや、なかなか名前が覚えられなくてさ」
流山市には7つのサッカー少年団があるが、ビッグクラブ化したのはTXの駅に近い小学校のグランドを使って練習をしている3チームだった。
その後も我が家から一番近い流山おおたかの森駅周辺で急ピッチに区画整理が始まった。この前まで雑木林だったところに宅地が造成され、次から次へと新しい道路ができる。1ヶ月もするとすっかり景色が変わるので、地元住民の筆者が道に迷うほどだ。
大半が雑木林と畑だった駅前にマンションが立ち始めた。
「こんなところに、でかいマンションを立てて。人が入るのかねえ」
あの頃、購入しておけばちょっとした小金持ちにはなれていたはずだ。不明を恥じいるばかりである。
前述の通り、その頃から年間10~20ヶ所という凄まじい勢いで保育園が新設された。やがて東武アーバンパークラインの線路沿いは、保育士さんが5、6人の園児を乗せて押す「お散歩カー」のメッカになった。電車が通過するたびに、園児たちが一生懸命に小さな手を振る。東武アーバンパークラインは日本で一番、園児に手を振ってもらえる電車かもしれない。車窓から沿道に向かって手を振りかえしていると、こんな言葉が頭に浮かぶ。
「保育の楽園」
少子高齢化で経済も衰退する一方の日本。しかし本気になればこんな街づくりも可能なのだ。筆者は一市民として街の変貌ぶりを目撃してきた。何をどうすれば、電車に乗るたびに園児たちに「バイバーイ」と手を振ってもらえる、こんな街が作れるのか。経済ジャーナリストの視点でそれを考えたのが本書である。
※本記事は、『流山がすごい』の一部を抜粋、再編集したものです。