取材中に涙…「とんでもない人だと思われがちですが…」“令和の愛人”真島なおみ(25)が語ったギャップ
“令和の愛人”の異名を持つ9頭身美女の真島なおみが初の写真集『Swamped』(講談社)を発売した。SNSやテレビ番組でセクシーさ全開といった印象の真島だが、取材中に写真集の発売の喜びから涙する場面も。世間のイメージと自身とのギャップについても明かした。
【写真】取材中に思わず涙も…「エロと下品の線引きがある」と語った、真島なおみの写真集カット ほか【19枚】
――グラビアデビューは今から6年前。デビューしてすぐ「週刊ヤングジャンプ」の表紙を飾っています。写真集は正直なところ、もう少し早く出せると思っていたのではないですか。
長かったですね。グラビアデビューが20歳で、今は25歳ですから。22、23歳までにはとは思ってました。実際、2年ぐらい前に写真集を出せそうなときもあったんですが、コロナなどもあって流れてしまって……。でも以前よりも自分の色もわかっていますし、今、写真集を出せたことで魅力がマシマシになっていると思います。
発売イベントでたくさんの方が写真集を受け取って喜んでくださっている様子を見て、写真集が出せたんだと実感できて涙が出ました。今もうるうるしています(そう言うと、目頭を押さえて涙を流す)。
――そもそも芸能界入りも小学3年生のときに、親に言わず勝手に応募したんですよね。なかなか破天荒。
4歳から金髪だったんですよ。でも勉強はしていて優等生でした。もともとはアーティスト志望だったんです。歌って踊りたくて。ただ小学生で 身長が160センチ以上あったので、モデルをしていました。それからユニットで歌ったり、舞台でお芝居をしたりという感じです。
20歳になった時に、当時の事務所だったエイベックスの方から「グラビアをやってみる?」と言われたんです。もともとめちゃくちゃグラビア好きだったので、お話をいただいたので「えっ、やっていいんですか!」とウキウキでした。
“令和の愛人”になるまで
――ヤングジャンプでグラビアデビューしますが、当時のキャッチフレーズは“ドール系美少女”と、今の“令和の愛人”とは真逆です。
当時は笑顔が苦手だったのと、黒髪姫カットで今でいう量産系女子に近い服装をしていたんです。普段からハーフツインでジャスティン デイビスとかヴィヴィアン・ウエストウッドのネックレスや指輪をしていて。ただ当時もミニスカ、ニーハイはデフォでした(笑)。
――グラビアで人気が出ている最中、そこでキャッチフレーズが“令和の愛人”になる。
"令和の愛人”はラジオに出た時に「よゐこ」の有野晋哉さんが命名してくださって。もともとラジオで「彼氏に近寄らせたくない女」というのをキャッチフレーズにしていたんですが、当時「漂う 愛人感... (マネさんと私)」という私のツイートがバズっていて、そこからそこから有野さんがつけてくれました。
――実際、愛人になりたいとは思うんですか。
「愛人になってください」とは言われますが、本当に愛人をしたいわけではないので。あくまでみんなの愛人ですね。
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