「お客さんが8人でも谷村は懸命に熱唱した」 アリス・矢沢透が明かす谷村新司さんとの不遇時代

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客が8人のことも

「たとえば浜松のデパートの屋上で昼間のライブをやる。お客さんは8人。半分が子供で残る半分がご老人。明らかにアリスの客層ではないのですが、予定通り演奏を始めた。案の定、子供たちが勝手に走り回り、ご老人が食べかけのソーセージを差し出してきたりする。それでも谷村は懸命に盛り上げ、熱唱するわけです」

 もちろんお金もなかった。

「これは僕のことですが、大阪ではファンが訪ねてくるたび地下鉄に乗って北新地の行きつけの喫茶店で飲み物をごちそうするのです。ミルクティーを注文されると予算ギリギリ。ミックスジュースだと赤字。だから帰りは地下鉄ではなく宿まで歩いて帰りました。谷村もベーやん(堀内)も同じだったと思います。でも、不遇だとは思わなかった」

ライブ前にメンバー全員が下痢に

 ライブを続けること5年後の77年、突然視界が開ける。11枚目のシングル「冬の稲妻」が55万4千枚のヒット、チャートの8位にランクされたのだ。すると、以前にリリースした「今はもうだれも」「遠くで汽笛を聞きながら」にも火がつく。78年8月、三人は悲願の武道館のステージに立つことになる。その日、押し掛けたファンで会場は異様な熱気に包まれていた。

「ライブの初日、谷村は明らかにナーバスになっていました。今まで経験したことのない緊張感に襲われて、開演15分前から神経性の下痢でトイレを行ったり来たり。つられたのか、僕とベーやんも同じく下痢に見舞われてしまったのです。でも、ステージではアリスの神髄を見てもらいたい。楽しんで帰ってもらいたいとの一心で演奏できた」

 ライブの成否は幕が下りたあと、谷村さんが求めてきた握手の固さが全てを物語っていた。その谷村さんが闘病の末に息を引き取ったのは、2023年10月のこと。アリスの半世紀を振り返るとき、矢沢はあの手の感触を今でも思い出す。

週刊新潮 2024年1月4・11日号掲載

ワイド特集「『昇り龍』か『堕ちし龍』か」より

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