「お客さんが8人でも谷村は懸命に熱唱した」 アリス・矢沢透が明かす谷村新司さんとの不遇時代
満員の日本武道館。オーケストラが奏でる映画「栄光への脱出」のテーマ曲とともに、三人がステージに現れる。1978年、伝説のライブの開幕は、不遇の時代を乗り越えたアリスの歓喜と興奮が伝わってくるようだ。そのリーダー・谷村新司さん(享年74)との日々を、ドラム担当の矢沢透(74)が振り返る。
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【写真】谷村新司さんが生前こよなく愛した神保町の喫茶店「さぼうる」。亡くなった先代マスターとの貴重なツーショットも
「僕にとって谷村との思い出はアリス結成前の1971年に遡るんです」
そう話す「キンちゃん」こと矢沢。当時、米軍のキャンプを回って演奏するジャズドラマーだった。
“真っ黒な服を着ている丸太”
「僕はオーディションに受かってワールドツアー(アメリカ横断ツアー)に参加することになっていたのです。メンバーの集合場所は羽田空港。そこで別のバンドにいた谷村と初めて出会うのですが、最初は会話もなかった。第一印象は“真っ黒な服を着ている丸太”。ロン毛でパンパンに太っている姿は今でも忘れられません。ところがツアーはメキシコで主催者が姿をくらまして窮地に。そこで谷村が“キンちゃんもドラムをたたいて合同演奏しよう”と誘ってくれたのです。メキシコの言葉は“アミーゴ(友達)”しか知らない。谷村は曲が終わるたびアミーゴ!と絶叫していたら意外にも大喝采を浴びたのです」
これで矢沢は谷村さんと親しくなる。そしてハワイで、東芝からデビューすることを打ち明けられた。
「彼は“ソロではなくてバンドでやりたい。堀内(孝雄)というのも参加するから、一緒にやらない?”と言うのです」
72年、アリスとしてデビュー。しかし、客が入らない日々が続く。事務所も1億5千万円の借金を抱え、焼き鳥屋の隣、トラックの上、そして商店街と三人はどこででも歌った。
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