蓮舫議員の“決め台詞”が思い浮かぶ…「膨張する予算」「定額減税」「安倍派裏金問題」は全て根っこは同じ問題と言える理由

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政治家が有権者に媚びなければならないのが諸悪の根源

 じつは、自民党の安倍派をめぐるキックバックの不記載問題も根っこは同じである。派閥から所属議員にキックバックされた政治資金パーティー収入の一部について、いったいなにに使われたのか明らかにすべきだ、という声がよく聞かれる。たしかに、それを詳らかにするのも重要だが、大まかな用途は最初からわかっている。各議員が私腹を肥やしたのではなく、選挙資金に使われたのである。

 国会議員は政策秘書、公設第一秘書、公設第二秘書という3人の秘書については、人件費が公費でまかなわれる。だが、現実には、それだけでは到底足りない。選挙区の各所に事務所をもうけ、私設秘書や事務員を雇い、冠婚葬祭に祝儀や香典、祝電や弔電などを欠かさない、というだけでも大変な費用になる。

 では、なぜそこまでしなければならないか。選挙区の有権者が「望んでいること」に応えるのが、当選への近道だからである。とりわけ衆議院は、いつ解散があるかもわからないだけに、常に選挙区対策を密に行っている必要があるようだが、一地方の狭い選挙区の有権者に媚びるために、時間や予算の多くを割いているようでは、政治家が国家百年の計から遠ざかるのは当然だろう。

 安倍派のキックバック問題を機に、公設秘書の人数を増やす代わりに私設秘書の設置を禁じるとか、議員への無体な要求が通りやすい小選挙区制度の是非を検討するとか、考えるべきことがあると思うが、ここでは深入りしない。その前にわれわれが考えたほうがいいのは、国会議員は、全国民を代表して国政の審議にあたるのが職責だ、ということだ。

 それなのに狭い選挙区内で、有権者が刹那的な欲求を国会議員にぶつけるのが常態になっているから、議員もそれに応える必要が生じ、それには費用もかかり、今回のキックバック問題にもつながった。また、各議員が地元の要求を吸い上げようとするから、国家予算も膨張する。

 政治家は「国民が望んでいること」の意味を、「国家百年の計」のなかで相対化し、国民とその子々孫々の幸福につなげてほしい。しかし、われわれも刹那の欲求を政治家にぶつけないように意識したほうがいい。私は政治が世論調査に媚びるのが民主主義であるなら、民主主義を見直すべきだとすら考えてしまう。その意味では、来年度予算にも、安倍派のキックバック問題にも、民主主義の危機は色濃く浮かび上がっている。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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