山梨学院大「オツオリ」から東京国際大「ヴィンセント」まで…箱根駅伝の留学生ランナーは「ケニア人ばかり」の意外な理由

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 青山学院大の優勝で幕を閉じた今年の箱根駅伝も、大いに盛り上がった。一方、その100回の歴史を語る上で欠かせないのが、留学生ランナーの存在である。彼らはどのような仕組みのもとで来日し、またチームにどれほどの影響を及ぼしてきたのか。そもそも、なぜケニア人が多いのか――。【酒井政人/スポーツライター】

留学生が1人いるだけで……

 第100回箱根駅伝ではさほど目立たなかったが、昨今の学生駅伝は留学生の存在が欠かせない。今大会も出場した23校のうち7校でケニア人選手が出走。昨年10月の箱根駅伝予選会は過去最多18人の留学生が出場していた。

 箱根駅伝に出場できる外国人留学生は1校1名のみだが、創価大学、山梨学院大学、東京国際大学のように2名の留学生を抱えているチームもある。いずれにしても、学生長距離界の留学生ランナーは増加する一方だ。

 なぜこのような現象が起きているのだろうか。

 留学生が箱根駅伝に初登場したのは、1989年の第65回大会だ。山梨学院大学のジョセフ・オツオリがいきなり爆走する。ケニアからやってきた1年生が花の2区で7人抜きを披露。区間賞に輝いたのだ。

 ケニア人留学生が活躍した山梨学院大学が学生駅伝で大躍進。箱根駅伝では1992、1994、1995年に総合優勝を果たしている。

 山梨学院大学の“成功例”を参考に、ケニア人留学生を入学させる大学が少しずつ増えてきた。

エージェントの斡旋

 ケニアと日本の橋渡しをしていたのが、ナイロビ在住の通称、ケニヤッタ小林(本名・小林俊一、2021年に死去)さんだった。スポーツコーディネーターとしてケニア人選手を大学や企業などに紹介。2000年代前半までに来日したケニア人の大半はケニヤッタ小林さんの息がかかった選手たちだ。

 しかし、来日する選手が増えると、元選手が知り合いの選手を日本のチームに紹介するなど、エージェントの数が増加。現在は様々な選手獲得ルートが存在しており、その費用も下がっている。

 なかでも近年注目を浴びているのが、日本人の柳田主税さんが代表を務める「株式会社ChiMaSports Promotion JAPAN」だ。柳田さんはケニアで次世代のアスリート育成のために、スポーツと教育を無償でサポートする15~18歳のキャンプ(長距離チーム)を運営。日本の高校や大学に選手を紹介している。東京国際大学で活躍したイエゴン・ヴィンセント(現・Honda)、同大学に今季入学して、5000メートルと10000メートルで日本学生記録を樹立したリチャード・エティーリは柳田さんの会社が日本に斡旋したランナーだ。

 留学生の場合は、ただ速いだけでなく、日本の学校生活に適応できないとやっていくのは難しい。その点、柳田さんのキャンプでは山梨学院大学や日本の実業団でも活躍したソロモン・ワチーラがコーチを務めており、彼が日本で成功できる資質があるかどうかを判断しているので安心感が高いようだ。

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