大谷選手からグローブが届いて子どもたちは大喜び…ニュースを報じる側に抱いた違和感 学童野球の厳しい実情を知るべき
おじさんたちの頭にある小学生像
既に野球チームに入っていたり、家庭で親から手ほどきを受けたりしているならともかく、野球との接点がない子どもにとっては、キャッチボールも決して手軽にできる遊びではない。ニュース映像の中で届いたグローブを使ってキャッチボールをしていたのは、ほとんどが既に野球をやっている子どもたちではないだろうか。道具だけ手元に届いたとしても、教えてくれる人がいなければ最初の一歩は踏み出せない。
テレビ局も新聞社も、編集・編成の過程で大きな権限を持っているのは中高年の男性が多い。少々意地の悪い見方だが、「大谷選手からグローブが届き子どもたちが大喜びしている」というニュースの仕立て方は、おじさんたちの頭にある小学生像に引きずられている嫌いがあるのではないか。確かに喜んでいる子どももいるだろう。ただし、無関心な子はそれ以上に多いだろう。
ジャイアンやのび太が空き地で野球をしている「ドラえもん」の世界とは裏腹に、現代の日本では友達と野球をして遊んでいる子はとんと見かけなくなった。さる少年野球の指導者は、
「野球は子どもたちの間で既に『習い事』になっているんです。友達同士で遊びながら野球を覚える環境が失われたため、チームに入って一から学ぶものになってしまっています」
と、語る。野球世代のおじさんたちがこの「ジェネレーションギャップ」をきちんと認識しなければ、競技人口の減少に歯止めをかけるのは難しい。
国民的スポーツの地位を保つためには
「習い事化」は悪いことというわけではない。子どもたちが勝手に野球をやってくれるようなかつての環境が特殊だったのであって、他の多くのスポーツと同様に、競技人口を確保するにはきちんと普及に力を入れなければならなくなったというだけだ。無関心な層にアプローチし、野球の魅力に触れてもらう取り組みを、人員と予算を確保して、どれだけ組織的に展開できるかが重要だ。国民的スポーツの地位を保とうとするのであれば、他競技以上に多くのエネルギーが必要になるのは当然だろう。
大谷選手も含め、現役選手はあくまで自分がプレーすることが本分で、普及活動に多くの労力を費やせるわけではなく、大谷グローブだけで状況を好転させられるものでもない。地道に子どもたちと向き合い、野球に親しんでもらう環境を整えていくことは、国内の野球界が組織として取り組まなければならない課題だ。
そうした努力を続けて、グローブを手に取ってくれる子どもが増えてこそ、大谷選手の好意をより活かすことができるのではないだろうか。