マラソンの宗兄弟が語る「双子で走る強み」 大舞台で二人がシンクロした瞬間とは(小林信也)

  • ブックマーク

 宗兄弟(旭化成)は日本のマラソンランナーが国際大会で優勝争いをしていた1980年代、瀬古利彦とともに常に中心的な存在だった。兄・茂、弟・猛。一卵性双生児の二人は85年北京国際マラソン、78・81年別大毎日マラソンなどで計4回、ワンツーフィニッシュも記録している(優勝はすべて茂)。

「自分たちは『長距離が速い』と分かったのが小学校4年の時でした」、茂が振り返る。「体育の時間に2キロくらいの持久走をやった時、私はクラスのトップで走り切った。後で聞いたら弟もクラスでトップだった。それまで運動会で3番にも入ったことのない二人がそれぞれナンバーワンになった。自分より周りがビックリした。まさか宗がって感じ。その時注目されたのがすごくうれしくて、『自分たちにはこの道が合っているんじゃないか』と気が付いた」

 思えば、買物に行く時など二人でよく走っていた。競技を始めたのは中学1年、

「私が先に陸上部に入った。弟は嫌がって入らなかった」

 その理由を猛が言う。

「双子は珍しかったので、二人そろって同じ部に入るのは抵抗があった。でもやっぱり兄貴と一緒に走りたいと思って10月ごろになって入部した」

 兄の茂が中学時代を語る。

「二人で走れるのは楽しかった。2年の時、顧問が異動して指導者がいなくなったので、自分たちで練習メニューを考えて走っていた。スピード練習なんてほとんどやらなかった」

 そして二人は口をそろえて面白いことを言った。

「二人で一緒に歩くことにはすごく抵抗があった。でも一緒に走ることには抵抗がない。走る世界と歩く世界はまったく違う」

県内一周大分駅伝

 宗兄弟が生まれ育った大分県には「県内一周大分駅伝」があった。毎年2月に5日間で全39区間、計約390キロを27人以内の走者がタスキをつないで走破する郡市対抗レース(注・大会の概要は2020年のもの)。

「長距離が速いと分かった時から、県内一周駅伝で走りたい、地元・臼杵市の小学校、中学校の前を走りたい、それが最初の大きな目標になった」(茂)

 メンバーが足りない場合は中学3年生が出られる特例があった。中2の時、

「臼杵市の監督だった校長先生から、『君たちは練習会に顔を出せ。3年になったら使いたいから』と言われてうれしくて」(同)

 毎週日曜、10キロのタイムトライアルに通った。

「走るたびに記録が上がった。試合前には高校生、一般も合わせて真ん中より上になった。そしたら、校長先生が私たちを3年生として登録して使った(笑)」(同)

 中学2年で、宗兄弟は憧れの臼杵市内を走った。

「私(茂)は最初、11キロくらいの区間を12番で走った。中2日おいて次は15キロ。また1日おいて10キロ。この時は区間2位で走った」

 猛もよく覚えている。

「私は初日約9キロ、3日目11キロ、最終日に8キロ台を走った。走れるだけで楽しかった。とにかく、毎日でも走りたかった」

次ページ:お互いに高め合う関係

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。