「20歳のときカンヌのカジノでディーラーにウインクされ…」 加賀まりこが語るギャンブル人生

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ゴダールやトリュフォーとも会い…

「なるほどね」。ディーラーの心意気を理解した私は、賞金の半額を心付けとして彼に渡して、それから毎晩、彼がいるテーブルへ(笑)。上がりの半分をチップでくれる上客だもの。彼も随分付き合ってくれたわね。

 ちょうどカンヌでかかっていた「乾いた花」でも、私が演じていたのは夜な夜な賭場に通う、危うげな少女。いったい何の因果かしらね。

 映画祭が終わってからはパリの小さなホテルに移って、本格的なフランス生活が始まった。パリでの暮らしは私が誰よりも敬愛する六本木の「レストラン キャンティ」の女主人・川添梶子さんが段取りをつけてくれたわ。彼女が紹介してくれたイヴ・サンローランのお宅に招かれたり、映画監督のゴダールやトリュフォーとも会ったりして。

 日本で女優をやっていた4年間に稼いだお金は全部ここで使い切るつもりだった。お金はもちろん、物にも人にも、当時は芝居にも執着はなかったし、幸い両親がお金に困っているなんて事情もなかった。

600万円の毛皮のコート

 それまでの私は年に何本も映画に出演し、年間契約のCMも5社あまり。会社に所属していたわけでもマネージャーがいたわけでもなく、仕事の内容もギャラもすべて自分で交渉していたの。忙しくて稼いだお金を使う時間もないんだけど、心の中では「こんなにお金持ちの20歳の女の子なんて普通じゃない」という居心地の悪さも育っていた。演技のイロハも知らずスカウトされて、フォトジェニックな女優というだけで大人にチヤホヤされていたのは分かっていたからね。

 パリでは、高級ブランドにわざとラフなTシャツ姿で出かけて行ったり、一流メゾンでオートクチュールを注文したり。知る人ぞ知る高級毛皮店「レヴィヨン」でヒョウの毛皮のコートを作ったときには、600万円という法外な値段に腰を抜かしそうにもなった。

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