「高校教師を辞め給料半減」「娘の強化費を家賃に」 レスリング・藤波朱理の父が明かす献身人生

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 2024年は五輪イヤー。かの地パリで若きニューヒロインとして脚光を浴びそうなのが、女子レスリング53キロ級で日本代表に内定した藤波朱理(あかり・20)だ。あの吉田沙保里の記録をも上回る、目下130連勝中である。そんな彼女の破竹の勢いは父親の献身によって支えられていた。

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「私、オリンピックで金メダルを取る!」

 もし、娘がそう宣言したとしたら、父親はどれほどのことができるだろう。

「小学校高学年の頃、朱理は『金メダル』と自分で書いた紙を部屋に張っていましたね」

 と振り返るのは、父親の俊一氏(59)である。

「本人はその頃から目標にしていたのでしょう。当時の私は、娘が五輪に出るなんて想像だにしていませんでしたが」

 レスリング選手として国体出場経験もある俊一氏は、三重県で公立高校教諭を務めながら、地元の子供たちにレスリングを教えていた。

「長男がその教室に通っていて、くっ付いて来ていた朱理も遊び半分でやり始めたのが4歳のとき。最初は弱かった。けれど、小学生になると、やる気に火がついたみたいで」

「巨人の星」さながらの猛特訓

 小3から小6まで全国大会の当該学年の部で連続優勝。ただ、中学に進むと大会は学年別ではない。中2で上級生に負けると、泣きながら「お父さん、強くしてください」。そこから“巨人の星”さながらの猛特訓が始まった。

 中3で全国優勝。以来、公式戦負けなしで、連勝記録が続いている。同年、“飛び級”で出場したカデット(16~17歳)世界選手権を制し、父は娘の実力に自信を深める。父が勤める高校に進学し、高1のインターハイで高3の有力選手に逆転勝ちすると、

「自信が確信に変わり、具体的に“パリ”を見据えるようになりました」

 ここまでは順調すぎる道のりだ。が、この後、俊一氏は岐路を迎える。

「朱理が高2の年の秋に、母校である日体大レスリング部のコーチに空きが生じ、私に声が掛かったのです」

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