「最高潮のパニック状態で始まった」 横尾忠則が明かす、天皇・皇后両陛下との懇談

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 この連載エッセイの担当編集者のTさんが、「次回はぜひあのことを書いて下さいよ。面白いのでぜひ」と何度断わってもまた日を変えて「ぜひ、あのこと頼みますよ」と実にしつこい。優秀な編集者は執筆者をいじめます。ついには「ぜひ、あのことをお願いします。お願いしましたからね」と、過去完了形にしてしまってどこかに消えてしまいました。

「あのこと」とは、思いも寄らなかったことですが、天皇、皇后両陛下とご面談することになったのです。僕以外にも何人かの人がひとりずつお話をすることになったのですが、そこで「困った」ことには、僕はひどい難聴で耳が聴こえないために会話が不十分になってしまうのです。それでどうしたものかと、文部科学省の係の方に僕の秘書の徳永が相談を持ちかけてくれたのです。

 すると、「難聴でも、なんとか補聴器を装着してでも陛下とお言葉を交していただきたいのです」。でも横尾の難聴は相当ひどく、世界で最高の補聴器でさえ、聴こえないのです。ですから、陛下のお言葉の前に、自己紹介的なお話を先きにさせていただくということでは如何でしょうか。「それは困ります、陛下より先きにお話をされないで下さい。陛下のお言葉のみにお答えいただきご質問などもなさらないでいただきたいのです」。

 さあ困った。どうすればいいのでしょう。普段、仕事で話す時は相手にテレビ局などが利用しているワイヤレスピンマイクという器機を持ってもらって、僕はイヤホンを付けて話をするのですが、まさか、このマイクを陛下に持っていただくわけにはいきません。「とにかく、補聴器をもう一度試して下さい」と再びお願いされてしまったのです。

 ここからが悪戦苦闘。とりあえず綜合病院に勤める知人の耳鼻科の先生を訪ね、何んとか聴こえるようにして下さいと、耳の掃除が始まりました。

「どうですか、私の声が聴こえますか」と先生。音声は聴こえますが、言葉の意味までつかむにはもうひとつです。「では今日から終日、人と会わなくても耳を慣らすために補聴器は装着して、テレビの音声で練習して下さい。でないと、脳が聴く能力を放逐してしまいます」と言われてテレビの前で聴く練習を始めたのです。でも、やはり補聴器を通した音は機械を通した音声に変質されているので、あまり役に立たないことがわかりました。

 次の日は、知り合いのおそば屋に行って、補聴器をつけて客の話す声を聴く練習を始めましたが、雑音にしか聴こえません。とそこに俳優の小澤征悦さん夫妻がやってきました。僕は今ヒヤリングの練習をしているので何んでも話し掛けてくれない?というと小澤さんは「今からボイストレーニングに行くんですよ」。じゃあ丁度いい、僕を相手にトレーニングしてくれないかね。と思ったのですが彼の声は太くて大きいので、補聴器なしでも聴こえそうだけれど、陛下とは声質が違うので、あまり役に立たないかも知れない。

 そこで他の人とトレーニングをと思って翌日、近所に住む元編集者にアトリエに来てもらったのです。するとそこへ、ヒヤリングの練習をしていることなど知らない冒頭のTさんがやってきました。2人共何んでもいい、陛下になったつもりでゆっくり、やわらかい優しい声で話してくれないか、と言いました。しかし相手の声が悪いのか僕の耳が悪いのか、どっちにしても、2人はワーワー騒ぐだけで、まるでヒヤリングのトレーニングにはなりません。

 そして耳の問題が解決しないまま当日がやってきてしまったのです。皇居に行く前にホテルオークラで一緒に陛下にお会いする初対面の北大路欣也さんからご挨拶されて、再び緊張してしまった。そして、時間はどんどん迫ってくる。どうしていいか焦るばかり。横で妻が話すが、何をいっているのかチンプンカンプン。文部科学大臣主催の午餐会に出席して色んな人から声を掛けられるが話の内容が全く聴き取れない。

 そうこうしているうちに皇居に向かうバスに乗ることになって、僕は最高潮のパニック状態に襲われ始めたのです。

 そして皇居でいよいよ天皇、皇后両陛下を目の前にしながらの懇談が始まりました。これまで味わったことのないほどの緊張です。陛下より先きに話さないようにという注意事項もすっかり忘れてしまって、陛下より先きに難聴になった状況の話を始めてしまいました。シマッタと思って両陛下のお顔を拝見したところ、お二人共、大変慈愛に満ちた優しい表情で、静かに微笑(えみ)を浮かべられながら僕の何を言っているのか自覚できないひとり語りに耳を傾むけて聴いて下さっていたのです。そのことに気づいてホッと胸をなで下しました。次の瞬間この数日間の緊張が一瞬にしてほぐれて実に平安な気持ちになっていくのがわかりました。

 そして僕の話のあとに陛下が、僕にも聴こえる優しいお声で話し掛けられたのは、NHKの大河ドラマ、「いだてん」の僕の描いたタイトルロゴについてでした。僕の本業である画家としての仕事でなく、今はほとんどしていないグラフィックの仕事にも目を掛けて下さっていたことに感動してしまい、思わず、「テレビはよくご覧になるのですか」と禁じられていた質問を発してしまったのです。

 こうして長い一日が終わりましたが、皇居を後にして見る東京の夜景は、まるで異次元の光景のように至福に満ちていました。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2024年1月4・11日号掲載

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