「地震で2度店を失った」「妻は孫の進路の話を楽しみにしていた」 能登半島地震、被災者たちの悲痛な叫び
「お寺の本堂も崩れ落ちていた」
何とか家から這い出たふみえさんが聞いたのは、津波警報が出ていることを知らせる市の防災無線だった。
「仕方がないので避難訓練の通り高台のお寺に助けを求めに行きました。つっかけで着の身着のままです。寺には集落のみんなが集まって騒然としていて、お寺の若奥さんが住職が見当たらないと泣いていました。お寺の本堂も崩れ落ちていました。ここはダメだと思い引き返しました」
そこへ偶然、近所の人が通りかかった。事情を話すと、手伝ってくれるという。
「最初は戻ってはダメだと言われましたが、どうしても行くと言ったら付いてきてくれました。家に着いてみると、母は自力で足を片足ずつ引っ張り出し、夫と一緒に家から這い出てきたところでした。二人とも裸足だったので、夫は捨てる予定でゴミ捨て場に置いてあったゴム長靴を履き、母には、外にむき出しになっっていた風呂場にあった掃除用のゴム靴を拾い上げて履かせました」
「自分たちは幸運だった」
母親は高齢のため、自力で移動ができない。そこで、
「偶然庭にあった台車に乗せました。でも夫も足がガクガクで運べない。そこへ近くに住んでいた夫の弟が様子を見に来てくれて、何とかみんなで母を運んで行けることになりました」
最初は高台にある旧西部(せいぶ)小学校に避難し、その後、大谷小中学校に移動した。
「母はそこでコロナにかかってしまい、ドクターヘリで加賀市の病院に搬送されました。家にはまだ帰れていません。110年くらい前に建てられた、先祖代々の家なので、崩れてしまって悲しいです」
うなだれるふみえさんはしかし、「自分たちは幸運だった」とも言う。
「隣の家の人は階段に押しつぶされて亡くなりました。向かいの家も崩れてしまい、台所にいた女性が押しつぶされて亡くなりました。通りの向かいの家も、土石流に家が流され、生き埋めになったままで出てきていません。そうなったのが自分たちでもおかしくはなかった。幸い、私たちはケガも大したことなくて……」
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