「すぐそばにミサイルが直撃」「一度泣いたら涙が止まらない」 ガザの日本人看護師が証言する“死の恐怖”

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 パレスチナ暫定自治区・ガザ地区におけるイスラエル軍とイスラム原理主義組織ハマスの戦闘は、3カ月を過ぎたいまも終わりが見えない。民間人の死者はおよそ2万人、うち8千人は子どもともいう凄惨(せいさん)な地で、3カ月にわたって医療活動に従事した、日本人看護師が見た現実とは――。

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「ハマスが攻撃を始めた10月7日は、朝6時ごろに爆発音で目が覚めました。ガザでは以前も小規模な衝突や、花火の打ち上げがあったので“そのうち鳴りやむやろ”と、当初は話していたんです」

 大阪赤十字病院に所属する看護師の川瀬佐知子氏(45)が、ガザ地区に派遣されたのは2023年7月。勤務先は北部のアルクッズ病院で、主な任務は医療従事者の育成だった。

「テレビでは、イスラエル市街がハマスのロケット攻撃を受けていると報じており、思わず同じ宿舎に住むチームのスタッフと“これはタダでは済まない”と顔を見合わせました。その後も爆撃はやまず、仕事はキャンセルに。宿舎の鉄扉をしっかり閉めて、待機することになりました」

「あれが車に直撃していたら…」

 その後、国際赤十字から退避の可能性が示唆された。

「攻撃の規模は不明でしたが、“荷物をまとめておくように”と。私は常々、パスポート、看護師免許、事業関連の重要書類、パソコン、それに衣類2セットと運動靴を入れた緊急避難バッグを準備していたので、すぐに中身を確認しました」

 やがて川瀬氏らに避難命令が下った。

「午後1時半ごろ、赤十字の車に荷物と食料品を詰め込み、チームの3人と北部の別の宿舎に向かいました。この時点でガザ地区は広範囲に攻撃を受けていた。建物や道路が損壊し、私たちが住む町は、わずか半日で様変わりしていたのです」

 目指す宿舎は2キロに満たない距離にあったが、

「通行止めの道が多く、迂回(うかい)を重ねました。まだ営業を続けている商店もあって、“こんな時でも物を売ってはるんやなぁ”と驚かされたり。一方で、広いガザ・イスラーム大学は、かなり激しい攻撃を受けているように見えました」

 この時、川瀬氏は文字通り九死に一生を得たという。

「私たちが乗った車が大学の前を通り過ぎようとした瞬間、ミサイルが校舎を直撃。すぐに大小の破片が“ドーン!”という音とともに飛んで来ました。あれが車に直撃していたら……」

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