【子どもの思春期】「小6息子が女の子と電話」 奥手な親がドキドキする今どきの思春期事情
ずっと一緒にいるのに、いちばん分からない。それでも大好きな存在――それが家族。
ユニークな着眼とユーモラスな筆致が人気のライター・スズキナオさんは、コロナ禍の中で「自分の家族についてもっと知りたい」と思い立ち、両親や妹、妻、息子たちに過去の記憶について尋ねていく。
バスケットボールのクラブチームでの練習帰り、息子がスマホで女の子とたわいもない通話をしていることに驚いたスズキさん。あ、ありえない……その衝撃を妻に話すと、話題はお互いの幼少期の恋へと広がり……。
なにげなくて愛おしい記憶のかけらを拾い集めたスズキさんの最新エッセイ『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』の一部からご紹介する。
小学生時代のラブレターの記憶
「っていうかさー! 私らの時からしたらあり得んよな」と、ソファに深々と座った妻が言う。息子たちが寝た後、先ほどの練習の様子を報告した流れで、練習の後にみんなで賑やかに通話していたことを私が妻に話したのだ。「バスケの練習の後で女の子と電話って、イケメンのやることやろ」と妻が言うので、「たしかに! マンガの世界みたいだよね」と私は笑った。
「異性と話すとか、中学生でもまだ無理やったな」と昔を振り返る妻も私も、かなり奥手な方で、そこは二人の大きな共通点である。「小学6年生の頃って、どんなだったっけ……」と私がつぶやくと、妻がその頃の記憶について語り始めた。
6年生の時、妻には思いを寄せるクラスメイトがいたという。なぜ好きになったかというと、「なんとなく目が合ったから」とのこと。
妻は幼い頃から大学を卒業するまで一日も欠かさずに日記をつけていて、特に幼い頃の日記はその日の出来事が隅から隅まで細かく書かれているようなボリュームのあるものだったらしい。だからそこに好きな人のことを書くのも当然で、その延長という感じで、自然に相手にラブレターを書いていた。それは最初から相手に渡すつもりのまったくないラブレターで、ただ「好きです」と文字にしてみるだけでなんだか胸が高鳴ってくるのだった。
「その人にラブレターを書いたのは1回だけで、書いたらすっきりした。あれは詩やな。詩のようなものやわ」と妻は言う。書いたラブレターは日記に挟んでとっておいた。妻は私立の中学校に進学することになっていたから、卒業すれば好きだったその相手とはもう会うこともないとわかっていた。しかし、それは仕方のないことで、だからといって相手に思いを伝えたいわけではない。
卒業後のある日、家に帰ると庭で彼女の母がゴミを燃やしていた。妻が当時住んでいた家には庭があって、父か母が焚き火をしては可燃ごみをよく燃やしていたらしい。その近くを通ると、母に「あんた、ラブレター落ちてたで。あんなん恥ずかしい。燃やしといたで」と言われた。
どうやら、日記帳に挟んであったのが、何かの拍子に部屋の床に落ちていたらしいのだ。「燃やしといたで」と言われた瞬間はとにかく恥ずかしくて、それを隠すためにあえて平然とした口調を装って「あ、ああ」とだけ言ったという。
「でも、まあ出すつもりもないラブレターやし、いずれ捨てなあかんもんなと。だから、むっちゃムカつく! とかではなかった」と、当時の妻は冷静にその事実を受け止めたらしい。むしろラブレターが灰になったことで相手への思いもすっきりと消え、それからは心機一転、中学校へ向かう通学電車でよく見かける男性に思いを寄せていたという。
テレパシー頼みの恋はかなうことなく
私の小学6年生の頃を思い返してみると、出す予定のないラブレターですらだいぶ大人っぽく思える。私の恋心はもっと幼稚なもので、相手に伝えようなどとは考えもしなかったし、もちろん文字にすることもなかった。
当時の私には、同じクラスに気になる女の子がいたのだが、「もしかしたらその子が自分の心を読めるかもしれない」という、根拠のない幻想を抱いていた。そのため、「好きです」と、とにかくその子の近くで強く念じ、相手がそれを読み取ってくれるのを待ち続ける、というスタイルを選ぶことになった。「カレー食べたい」などと考えてしまっている自分にふと気づいては、「あっ、今のはなんでもないんです! 好きです」と念じ直したりしたものだ。残念ながら相手は私の心を読む力を持っていなかったようで、まったく会話を交わすこともなく時が流れた。
私のそんな情けない思い出話が終わると妻は「うん。私らってそんなレベルやろ。スマホで電話して異性としゃべってるっていうだけでおいおい! なんなん! すごいな! って思うよな」と言った。「ほんとほんと。おいおい! なんなん! すごいな! って思うわ」と私はそのまま繰り返す。
息子は自分たちの知らない時間を生きていくという事実
数日後の朝、息子はLINEでクラスメイトたちと連絡を取り合い、みんなでユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行くと出かけていった。男子も女子も混ざった仲良しメンバーで行くらしく、それを聞いた私は「へー。いいね。気をつけてね」と息子に向かって言いながら、頭の中では「なんなん! すごいな!」と、叫んでいた。残念ながら息子にも私の心を読む能力は無いようで、彼は振り返ることもなくドアを開けて出ていった。
私はかつて妻が育児の記憶について語っていたのを思い出す。「小さい時、私がお腹減ってるのにあの子がお腹いっぱいでご飯を食べへんことがあって、その時、別の人間なんやなって思った」妻は息子が自分とは違う感情を持つ人間であるという当たり前のことを、そこで痛感したのだという。
息子は私のできないことをして、私の知らない時間を生きていくのだ。当然すぎるほど当然のその事実が、少し寂しいことでも、また、痛快なことでもあるように思えた。
どんなアトラクションが楽しかったか、帰ってきたら聞かせてもらおうと考えながら、私はもう一度布団にもぐり込むことにした。
※『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』より一部抜粋・再編集。