「母親として生きるってどんな気持ち?」と聞いてみて分かった意外な一面
ずっと一緒にいるのに、いちばん分からない。それでも大好きな存在――それが家族。
ユニークな着眼とユーモラスな筆致が人気のライター・スズキナオさんは、コロナ禍の中で「自分の家族についてもっと知りたい」と思い立ち、両親や妹、妻、息子たちに過去の記憶について尋ねていく。
ある時、スズキ氏は、出産間近の友人・みな子さんと「子どもを持つこと」について話をする。そして、ふと思い立ち、母親になった自分の妹たちにも子育てについて聞いてみることにした。
なにげなくて愛おしい記憶のかけらを拾い集めたスズキさんの最新エッセイ『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』の一部からご紹介する。
妹二人に子育てについて聞いてみた
私の二人の妹にもそれぞれ子どもがいる。上の妹には10歳になる娘と7歳の息子、下の妹には2歳になったばかりの娘がいる。息子たちが東京へ行けば、上の妹の子どもたちとは一緒にゲームをして遊べるし、下の妹のまだ幼い娘と遊ぶのにもまた、新鮮な面白さを感じるらしい。うちの次男など、一時期は下の妹の子どもと一緒に撮った写真をスマホの待ち受けに設定し、大阪に戻ってくると「こんな小さいいとこがいるんやで」と友達に自慢していたほどだ。
みな子さんとのLINEのやり取りの後、妹たちが母親でもあることを今さらのように思い出した私は、二人の出産や育児について、話を聞いてみたくなったのだった。
とはいえ、妹たちに正面から「出産についてなんだけどね……」と聞くのは私にはかなり照れる行為で、うまくしゃべれる自信がない。そこで事前に質問を用意してLINEのメッセージとして送り、それに答えてもらうことにした。アンケートみたいなものである。
「子どもが生まれる前後のことで覚えていること」
「子育ての上で大変だと感じること」
「子どもが成長して改めて思うこと」
「子育てして考え方が変わったこと」
「子育てで幸せに感じること」
「社会の制度などでもっとここがこうならいいのにと思うこと」
「子どもがいない人生だったらと想像することがあるかないか」
「子どもを産む友達がいたらアドバイスしたいこと」
「自分の親に対して思うこと」
「いつか自分の子どもが大きくなったとき、親としてどんな存在だと思われたいか」
という10項目を用意し、「答えにくいものは無回答でもいいから気楽に答えて」と伝えた。
母になって分かったのは「親だって人間」ということ
上の妹からの回答で印象的だったのはトマトの話だった。長女を出産する直前、やたらトマトが食べたくて仕方なかったという。食費の多くをトマトに割くほどの勢いだった。それが、無事に出産を終えた途端、嘘のようにまったく食べたいと思わなくなった。しかし、その後、トマトは大きくなった長女の大好物になったという。まるで、お腹の中の赤ちゃんが自分に命じてトマトを食べさせていたかのようで不思議なのだとか。
トマト以外にも、もともと妹はさくらんぼやスイカが大好きだったのに、その食べ物を子どもが好きになった途端、自分は食べなくても気が済むようになったそうだ。「母親の本能に埋め込まれた何かなのかね」と、妹は書いている。
「子どもを産む友達がいたらアドバイスしたいこと」という項目には「自分をアスリートか修行僧だと思うとけっこう乗りきれる」との回答が。「子育てで幸せに感じること」については、「子どもが自分の作ったごはんをモグモグ食べること」とある。
「子育てして考え方が変わったこと」という問いについて妹は「実際に親になってみると親も人間なんだなと思う」と答えている。それまで親(特に母親)は心の底から信頼できる存在で、何でもしてくれるし、絶対にいなくならないと思っていたらしいが、子どもを産んでみると、それは神話のようなものだと感じた。お酒を飲んでごはん作りをサボったり、毎日しなければならない小学校の宿題のチェックが面倒になることもあるそうだ。
なんだか、自分の知らない妹の一面が垣間見えたような気がした。
コロナ禍の中での出産を経て
一方、下の妹の娘はまだ2歳になったばかりだから、その回答にはまさに今、新鮮な母親経験の最中にいる印象を受けた。ちょうど新型コロナウイルスの恐怖が世の中を暗く覆っている時期に出産したから、そこに対して感じる恐怖もあったらしい。
妹が子どもを産んだのは志村けんが亡くなってすぐで、陣痛の合間に「志村けんの魂がまだその辺をさまよっているかもしれない」と感じたこと、コロナの影響で産後の面会も許されず、常に孤独を感じていたこと、生まれてきた子の顔を見た時、ずっと自分のお腹の中にいたはずなのに顔を初めて見るのを不思議に思ったことなどが綴られていた。
妹にとって子どもは「この世で一番可愛い存在」で、子どもを産んでみて「お母さんって私のことこんなに大好きなのかよ!」と思ったらしい。自分の母親の視線が理解できたと感じると同時に、「お母さんのように無償の愛を捧げられるのか自信がない。お母さんは世界で一番私に優しい人だと思うけど、そんな存在になれるのだろうかと考えるよ。同じようになれなくてもいいんだろうけど」とも思っているという。
子どもを産んだことで、「自分のやりたいこととか悩みとか小さいこととは全然違う、もっと何か大きな流れの中に飲み込まれた感じがあった」そうだ。さらに、「あと、とにかく常に動き続けなきゃいけないのが大変。いつもぼーっとしていたいタイプの人間だったのにね。親としてなるべく正しくいなければいけないというのも難しい。子どもに恥ずかしくないかなとか、自分がしてることを自信を持って教えられるかなとか考えると、これからどう生きようか悩む」と、親として生き始めた自分のあり方を日々模索しているようだった。
二人の妹は「子どもがいない人生だったらと想像することがあるかないか」という私のちょっと意地の悪い質問に対して「めっちゃある!」「いいとか悪いとかではなく大いにある」と共通して答えている。私はよく「子どもがいなかったらどんな毎日だっただろう」と考えるから、そこは二人も変わらないんだなと思って、少し安心した。
※『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』より一部抜粋・再編集。