「私の声帯はふにゃふにゃと…」 八代亜紀さんが語っていたハスキー・ヴォイスの秘密とリズムへのこだわり
ホステスたちの涙
「みんなの涙のわけが私にはわからなかった。まだ恋愛の経験もなくて、男女のことはわからないまま歌っていたから」
涙の理由を察したのは大人になってからだった。
八代さんが歌っていた店のホステスはいつも明るくふるまっていた。しかし給料日になると、やさぐれた彼氏が裏口にお金をせびりに来たり、年老いた父親がお金をもらいに来たり。
「そんなシーンを10代から見て、とても悲しかった。その悲しみが歌ににじんでいたのかも。でも、女心は複雑でしょ。おねえさんたちは、お金をせびりに来た男性と昼間には腕を組んで楽しそうに歩いている。そんな姿を見るのも悲しかった」
10代のクラブでの体験は八代さんの歌を特別にした。
「事情を抱えていても、笑顔で接してくれる彼女たちを思って歌ったことが、シンガーとしての私の原点だと思う。あのころ“歌の心”を知ることができたのかもしれない」
そんな原点をジャズを歌うと思い出した。
ジャズへの挑戦
八代さんは2010年代にジャズ・シンガーとしても活動。元ピチカート・ファイヴの小西康陽のプロデュースでジャズのスタンダードを歌う「夜のアルバム」をリリースした。東京・青山のブルーノート東京やニューヨークの名門ジャズ・クラブ、バードランドでジャズのショーも行った。
強烈だったのは2012年7月に神奈川県葉山町の海沿いで開催された「真夏の夜のJAZZ in HAYAMA 2012」での歌唱。葉山マリーナの特設ステージに登場した八代さんは「ユード・ビー・ソー・ナイス・カム・ホーム・トゥ」「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」などスタンダードを歌っていった。
ステージのラスト、ドラマーの村上“PONTA”秀一が率いるジャズ・ユニット、PONTA BOXをバックに、八代さんは「舟唄」を歌った。この演歌の名曲には「ダンチョネ節」が挿入される。奇しくも、フェスの会場となった葉山町がある三浦半島から生まれた民謡だった。そのダンチョネに入るところでバンドは演奏をブレイク。
「沖の鴎に深酒させてヨ~」
八代さんの声だけが沖に向かって響いていく。
夏の湘南の空気が明らかに変わった。歌唱後、会場も、海も、背景の山も静寂に包まれ、次の瞬間、爆発するような拍手が起きた。喝采は客席だけではなく、周辺のヨットハーバーの人たちや地元の漁師も巻き込みいつまでもやまなかった。
「あのとき、空気、変わったでしょ?」
葉山での「舟唄」を八代さんはちょっとうれしそうに振り返った。少女のような表情だった。
原点のジャズと父親譲りの浪曲が混じり合い、八代亜紀だけの演歌の世界がつくられているのだろう。
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