【王将戦第1局】藤井聡太八冠が先勝 中盤がすべてだった…菅井竜也八段が語った敗因は

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あっさり投了

 53手目に菅井が大長考し、そのまま午後6時になって封じ手に持ち込まれた。翌朝、塚田九段によって開封された手は「4七飛車」だった。

 100手を超えて藤井が竜と桂馬で菅井の玉に迫る。対する菅井は馬と「と金」で迫る。

 藤井優勢のまま進み、120手目、藤井の「4七金」を見た菅井はあっさり投了した。素人目には、まだまだ勝負はつかないように見えた。菅井の玉は、金銀3枚と桂馬、香車が守っている上、藤井の多くの駒が攻めてきているわけでもない。解説の藤井猛九段も「もう少し指すかと思ったが投了しましたね。ここからばーっと簡単に終わるわけではなく、解説も難しいのですが」としながら、菅井に勝ち目がないことを丁寧に説明した。

 午後6時前にAIは藤井の勝率を97%と示した。この時、藤井猛九段は休憩に入っていて、投了に間に合わないかと心配した。菅井の投了はその少し後の6時半。藤井の持ち時間は切れかけていたが、菅井は40分も残していた。それもあって藤井猛九段らは、投了までまだ時間がかかると考えていたのかもしれない。

参加費30万円のイベント

 対局後、藤井は「『5五歩』と突かれたあたりから、少しこちらが、なかなかうまく動いていくのが難しい形にはなってしまったかな、というふうには考えていました」「序盤の構想に課題が残ったかなと思うので。そのあたりを第2局に向けて修正していけたらと思います」など、例によって反省の弁を口にした。

 その上で「『5九飛車』と打ったあたりは(自陣の)と金を払う筋を見せて、頑張れそうな形になったかなと思っていました」とした。

 敗れた菅井は「すごい手が広いんで。『4七飛車』とか『5六銀』とか、ほかにも手はあったと思うんですけど。そうですね。ちょっとすごく難しい局面だったです」「『4八銀』と引いたのがよくなかったように思います」と明確に自らの失着を挙げた。

「藤井システム」で知られる藤井猛九段は「中盤がすべてだった」と総括し、菅井の敗着については「『4八銀』と引いてしまった。攻めが難しくなった。もったいないないという感じでした」と振り返った。

 そして第2局について藤井猛九段は「今回と同じような穴熊でぐいぐい行くのはもうさすがにしないのでは」とした。「戦法は?」と和田あき女流二段(26)に訊かれると、「四間飛車、美濃囲い」と予想した。あの大山康晴十五世名人(1923~1992)が得意の戦法だ。

 今回の王将戦第1局では、大田原市などが企画した「OH!SHOW TIME(オウ・ショウ・タイム)」というイベントの参加者5人が封じ手の開封を見学した。5人は対局場に入室し、封じ手が開封され藤井と菅井が対局を再開する様子を見守った。その後、佐藤紳哉七段(46)の大盤解説を聞きながら、藤井と同じおやつや昼食を食べたり、終局後の感想戦の見学をしたりしたという。その他、直筆の揮毫(きごう)色紙のプレゼントなど様々な特典もあり、日帰りにもかかわらず参加費は1人30万円で、チケットは即完売したという。藤井の人気にあやかった「新商法」は、一体どこまで発展するのだろう。

 第2局は1月20日、21日の両日、佐賀県上峰町の料理店「大幸園」で行われる。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部

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