樋口可南子も宮沢りえも…篠山紀信さんの写真に一切の作風が生じなかったのはなぜか

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 稀代の写真家、篠山紀信さんが老衰のため亡くなった。享年83。山口百恵、樋口可南子、宮沢りえといった時代を象徴する被写体を求め、彼女らの写真集は社会現象となった。巨匠・篠山紀信とは一体何者で、その写真は何を表現していたのか。かねて取材を続けてきたライターの山内宏泰氏が迫る。

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夜半に漏らしたひとこと「じつはアタシ今日、誕生日なんですよ」

 アート分野のライターとして、篠山紀信さんをしばしば取材してきた。

 コロナ禍前の初冬のある日も、東京・赤坂のアトリエに呼ばれた。以前から申し込んでいたインタビューに応じてくれるという。日中は撮影仕事が何本も入っており、夜遅くでよければとのこと。

 陽が落ちて出向き、広々とした応接スペースで話を伺う。制作中の写真集ゲラ刷りを取り出し、巨大なガラステーブルへ置き、エネルギッシュに解説する姿は、当時すでに70代後半という年齢をまったく感じさせない。

 いま手がけている仕事がいかに傑作であるか滔々と説いてくれて、記事を書く材料は充分過ぎるほど集まる。この際に気をつけるべき点はひとつだけ。話題を「現在」と「これから」のことに集中させ、かつての仕事や思い出話を尋ねないようすること。過去を振り返るのを好まず、古い話が持ち出されると、どれほど賞賛されていようと口が重くなってしまうからだ。

 これは篠山さんと仕事をともにする人たちのあいだでよく知られるところだった。常に「いま・ここ」にあるものと向き合う写真家としては、過去に耽溺しているわけにはいかぬと、みずから厳しく律していたんじゃないか。

 その晩、取材が一段落 すると、これから食事に行こうと誘われた。東京ミッドタウン内のレストランで、事務所スタッフ数人とともに卓を囲む。

 ここでも話の輪の中心となり、座を取り持つのは篠山さんご本人である。インタビュー時よりいっそう快活に場を回す。近隣の客席が(あ、篠山紀信だ……)と気づき、聞き耳を立てている節があってもお構いなし。むしろ皆まとめて楽しませてあげようとの勢いで話し続ける。

 食事もあらかた終わり、日付が変わる頃合いになって、篠山さんがポツリと言った。

「じつはアタシ今日、誕生日なんですよ」

他者の歓びにこそ目を向ける

 一日忙しく駆け回っていたがせめて夕飯くらい外で食べたく、遅くまで付き合わせてしまった、済まないとの旨を告げられた。

 知らずに過ごしていたこちらは恐縮するばかり。ひとことお祝いを述べる以上のことをしようもないが、そもそも篠山さん自身に気を回してもらいたい素振りはなく、記念日の話はそれきりになった。

 事前に周囲へもうすぐ誕生日だと漏らせば、いくらでも人が集まり盛大に祝ってもらえるだろうに、篠山さんはそういうことをしない。この日もおそらくは、どんどん舞い込む仕事の予定を当然のように優先し、スケジュールがぎゅうぎゅうになったと思われる。

 いつだって仕事優先の姿勢は、優に半世紀を超える写真家人生を通して変わらなかったようだ。とはいえ、いわゆるワーカホリックとは違う。写真を撮るという仕事を通して他者を歓ばせることが楽しくてしょうがない、といった風情がいつも漂っていた。

 芸術家といえば人一倍自我も自己顕示欲も強そうで、篠山さんほどの大御所ともなれば強大なエゴが発生してもおかしくないが、実態はまったく逆だ。ふだんのふるまいも仕事上も、自己を顧みず他者の歓びにこそ目を向ける姿勢で一貫している人だった。

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