キラー・カーン 尾崎豊は常連客、忠実に守った母の教え…力士、プロレスラー、居酒屋経営者の優しき人生
尾崎豊が愛したカレー
夭折のカリスマ・シンガー、尾崎豊が同店の常連だったのは知られるところだ。店が1989年2月オープンで、本人の急死が1992年4月だから、付き合いは長くても3年余だろう。だが、カーンによると、極めて濃密な付き合いだったという。
「売れっ子だろうに、月に2~3回は来てた。マネージャーやお母さんを連れて来たこともあったね。『カンさん、ウチの母です』って」
焼酎のボトルも入れ、こちらはその後も「カンちゃん」に大事に飾られていた。尾崎自身が有名人のため、気づく客も多く、写真撮影もせがまれていたとか。カーンが気を遣い、その客を止めようとすると、尾崎は言った。「いいんですよ、カンさん」「大丈夫ですよ、カンさん」。2ショットどころか客が頼むと、カラオケでデュエットにも快く応じていたという。
カーンは言う。
「俺はウチの店での彼しか知らないけど、良い青年だったよ。周囲の誰にも偉ぶらずに、『カンさん、いいんですよ』って応じてね……」
尾崎の死後、関係者が訪れ、カーンにこう告げた。
「(尾崎は)今日は『カンちゃん』に行くんだって、よく嬉しそうに話してましてね」
先に説明したように、店は何度も移転。だが、「カンちゃん」の屋号を、カーンが最後まで変えることはなかった。
接客中、カウンターにつっぷし、そのまま意識が戻らず永眠したカーン。それは、お客が10人以上集まると、自ら音頭を取り、うち2名に自らのサイン入りグッズをプレゼントする、恒例のジャンケン大会を終えた直後のことだったという。