「もうアレとは縁を切ったけぇ」 実兄が明かすビッグモーター・兼重宏行前社長の素顔 豪華クルーザーに巨大な別荘…知人が明かす“成金ぶり”とは【スクープその後】

国内 社会

  • ブックマーク

車好きの兄ちゃん

 隊所属時代に結婚するが、程なく退職。大手ディーラーに勤めた後、1975年、23歳の時に地元で自動車整備工場を始めたという。

「はじめは私の妻と二人きりの工場だったんですよ」

 とは、兼重氏の姉の夫、つまり義兄である。

「宏行に頼まれて妻が事務をすることになって。立ち上げの時には銀行から3千万円借金しましたが、長兄と私が保証人となりました」

 というから、「縁を切る」と大見得を切って出て行った割には、きょうだいにおんぶにだっこだったわけだ。

 当時の工場の近所に住んでいた住民の証言。

「トタン屋根で、バラックというか、こぢんまりした街の修理屋さんという感じだったよ。一度、車が壊れたから持っていったら、宏行さんが“おう!”と言って出てきてね。いじりながら必死にマニュアルをめくっていたけど、最後は“わかんねえ”ってなってね。まあ車好きの兄ちゃんという感じでしたよ」

「マナーはよくなかった」

 3年後に工場を「兼重オートセンター」として法人化。80年には、現在の「ビッグモーター」へと社名を変更し、とりわけ平成以降、出店増加や積極的なCM展開、また、一般ディーラーよりも高価格での買い取りを謳うことで、とんとん拍子に売り上げを伸ばしていったのだ。

 ちょうどその前後、兼重氏は岩国市内に自宅を購入している。

「この辺りの家を1区画としたら、3区画分はあるくらいの大きな家だったね」

 とは、近所の住民である。

「塀も4~5メートルはあってね。中はほとんど見えなかった。立派な造りでしたよ。本人は1番目の奥さんとの間に子供がいたけど離婚したとかで、2番目の奥さんと、彼女との間に生まれた女の子と男の子2人がいましたね。車もベンツと国産車の2台持ち。ゴールデンレトリバーを飼ってましたね」

 が、別の住民によれば、

「マナーはあまりよくなかったな。ゴミの分別をしないので注意したら、何でうちのゴミを見ているんだ、って奥さんに怒鳴られたことがあった。境界線ギリギリまで塀を建てたりもして、お隣さんはへきえきしていたよ」

 2005年には関西の大手中古自動車販売チェーン・ハナテンを傘下に収める。販売から修理、メンテナンス、車検、買取まですべてを手掛けるワンストップサービスを売りに業績を拡大させ、業界トップを争う大手へと成長するのである。

次ページ:“ふざけんな、ボケ”

前へ 1 2 3 4 5 次へ

[3/5ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。