「ボケたふりをして遊べばいい」 横尾忠則が語る「ボーッとする」効能
若い友人の作家に僕はある時、「君はボーッとすることがないような気がするがね」と言ったら、彼は「ボーッとすると罪の意識を感じる」と返してきました。
何の罪かな? 小説を書かないことについて、道徳に反(そむ)いた不正行為に対する処罰でも受ける気持になるのかな? 宿命に対して何か悪いことでもしている気持になるのかな?
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僕はボーッとする無為な行為が結構快感というか、気分がいいのですがね。自然との一体感というか、自然は人間みたいにいちいち、あれこれ物を考えたりしないじゃないですか。つまりそこに存在しているだけで頭から考えを廃除した時、頭の機能は静止しますよね。その頭の働きが失くなった時の、頭の中が空洞化して空っぽの状態がなんとも居心地がいいんです。これといって何かするわけでもなく時間が過ぎていく、つまり変化しないことに対する安心感なんですかね。
無為に対して有為は、意味のあること、有意義なことですよね。友人の作家は小説を有意義なものと考えているわけです。実際そうかも知れませんが、絵は別に有意義である必要はないと思うんですよね。小説家みたいに思想を持つとか、人を導くとか、社会に貢献するとか、そんなものは絵にはありません。中にはプロパガンダ的な主義主張をしたり、社会を告発したりする画家もいることはいますが、僕はそのタイプではないです。
僕は小さい頃から、いつも夢想しているような子供だったように思います。川に釣糸を垂れ、そして浮きが引く様子をまるで瞑想気分でボーッと見ているだけです。このボーッが深くなればなるほど不思議に魚が食いついてくるものです。だからイラチな性格の人に釣りは向いていないのではないでしょうか。多分友人の作家は、魚釣りは無理だと思います。つまり無意識状態を長時間保てない人は無理でしょう。三島由紀夫さんも典型的にボーッとできない、無意識のない意識の人だから釣りは無理だったはずです。友人の小説家はやはり三島さんと何か共通するものがあったのか、だから小説家になったんでしょうね。
ボーッとがいいか悪いかは知りませんが、僕はどう考えてもボーッ派の人間です。ボーッ派はどちらかというと消極的なタイプの人間に多いんじゃないでしょうかね。テレビに出演しているユルキャラのチコちゃんは、よくゲストに向って「ボーッと生きてんじゃねーよ!」と活を入れていますが、アレです。
ではボーッの効用を考えてみましょう。ボーッはどうもインテリと反対の人間のキャラかも知れませんね。以前僕はある美術大学の大学院の教授として雇われていたことがあります。大学院の教授8人ばかりで時々ミーティングがあるのですが、元々大学生になった経験がなく、大学の組織のことなどがよくわかりません。ある日、いつものように教授たちが集まったのですが、ここで交される言葉は専門用語が多く僕にはまるでと言っていいほど理解できないで、ボーッとしていました。すると、いきなり「横尾さんはどう思われますか」とほとんど発言しない僕を指名するのですが、何のミーティングかよくわからないので「スミマセン、つい今、アトリエで描いている絵のことを考えていて、お話を聞いていませんでした」と言うと、大爆笑で終ってしまったのです。ボーッとしていたことでかえって難解な問題に関わらずにすんだんですが、これがかの友人の小説家だったら、「ボーッとしていました」とは言えなかったでしょうね。
まあ、これとは別に、老齢になると物忘れが激しくなって、ボーッとする時間も多くなります。「週刊新潮」の読者は老齢者が多いと聞いていますので、ボーッに心当りのある方も多いんじゃないでしょうか。ボーッは同時に眠気も誘います。ボーッとしていたのがいつの間にか眠ってしまっているのです。僕なんか絵を描きながらポトンと筆を落としたり、余計な線を描いたり色を塗ったりしてしまうことがあります。そういう時はそのままにして修正はしません。そんな無意識的な行為が逆に絵に謎を与えることになります。ボーッが日常化すると、日常がアート化してしまいます。そうなるとその行為によって延命化します。そしたらそこから新しい老齢時代が始まって面白くなるのです。周囲にはボケたフリをしていればいいのです。
人生は遊びですから、ボケ老人を装って、好き勝手なことをして遊んでしまえばいい。ここで人間は初めて遊ぶためにこの世に生まれてきたということに気付きます。何も芸術家だけの特権ではないのです。全ての人間に与えられたボーッと遊びを、老齢を理由に実践すればいいのです。
画家の僕は幸い幼年時代からボーッとしていて、そのボーッを老齢まで引きずってきただけの話です。老齢に達して人は誰もが初めて、自分が芸術家であることを認識するのです。