「短命横綱」の声を跳ね除け30歳で円熟期 千代の富士を「ウルフ」に生まれ変わらせた名大関のひと言

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30歳を迎えて円熟期に

 この年、30歳を迎えたウルフは、元気いっぱい。30歳前後で引退する力士が多い中で、まさに円熟期を迎えようとしていた。また、「打倒ウルフ」をめざし、大型若手力士、北尾(のち横綱・双羽黒)、大乃国、小錦(のち大関)らも台頭してきた。

 小さなウルフが巨漢力士をバッサバッサと投げ捨てていく姿に、ファンは沸いた。また、翌昭和61年は、夏場所から5連覇という偉業を果たす。

 その間に、199センチ、157キロ、将来性十分の北尾が横綱に昇進。続いて、弟弟子・北勝海、大乃国ら若手も横綱となり、千代の富士と共に一時代を築いていくものと思われていたが、昭和63年は千代の富士の4連覇、53連勝で「ウルフイヤー」となった。元号が平成に変わった元年も3度の優勝を遂げ、九州場所では人気の寺尾を吊り落としという荒技で下している。

 すでに優勝は29回を記録している。狙うは、もちろん大鵬の32回の大記録。ウルフの目は、次の獲物を狙っていた。

 ウルフ全盛時代といわれたこの頃、支度部屋のすみずみまで彼の目が光っていたという。私語はもちろんのこと、咳払いもはばかられるような、ピリピリした緊張感が漂っていた。土俵上の強さに加えて、土俵を離れた場所でも、ウルフは大横綱であり続けたのだ。

18歳の貴花田に引導を渡され

 平成2年に入って、昭和63年春場所で初土俵を踏んだ、貴ノ花の2人の息子、若花田と貴花田が力を伸ばしてきていた。

 そして、平成3年夏場所初日、運命の取組が実現することになった。かつて、ウルフが尊敬してやまなかった貴ノ花の次男、18歳の貴花田と35歳となった千代の富士との初顔合わせは、貴花田に軍配が上がった。

 貴花田は、ウルフに引導を渡した。

「これからは、頼むぞ!」

 かつて大関・貴ノ花がウルフに次代を託したように、ウルフは貴花田を通して、自身の体力と気力の限界を悟ったのだった。

 10年にわたったウルフ時代に幕が引かれたのは、それから3日後のことだった。

武田葉月
ノンフィクションライター。山形県山形市出身、清泉女子大学文学部卒業。出版社勤務を経て、現職へ。大相撲、アマチュア相撲、世界相撲など、おもに相撲の世界を中心に取材、執筆中。著書に、『横綱』『ドルジ 横綱朝青龍の素顔』(以上、講談社)、『インタビュー ザ・大関』『寺尾常史』『大相撲 想い出の名力士』(以上、双葉社)などがある。

デイリー新潮編集部

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