「短命横綱」の声を跳ね除け30歳で円熟期 千代の富士を「ウルフ」に生まれ変わらせた名大関のひと言

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尊敬する大関・貴ノ花に「恩返し」

 昭和52年秋、スカウトしてくれた九重親方の急逝を受け、新しく師匠となったのが、12代・九重親方(横綱・北の富士)だった。

 軽量のうえに、肩の脱臼癖で一時は幕下まで番付を下げていた千代の富士に、新師匠はケガを防ぐ具体的なアドバイスを授ける。それは、筋トレをして、肩の周囲を筋肉で固めること。さっそく実践に励んだ千代の富士は再浮上。昭和53年夏場所には、同じく細身で、尊敬する大関・貴ノ花と初めて対戦するまで番付を上げていた。

 じつは貴ノ花に対しては、特別な思いがあった。なかなか幕内に定着できずにいた1年ほど前のこと、巡業地で師匠とチャンコを食べていると、そこにひょっこり現れた貴ノ花が、千代の富士に対して、

「早く上に上がって来いよ。タバコをやめたら太るぞ」

 と、声をかけたのである。克服できない軽量を嘆く反面、喫煙を続けていた千代の富士は、このひと言でスッパリとタバコと縁を切る。

 大関のアドバイスがあったから、俺はここまで来られた――。

 初対戦で貴ノ花を制した千代の富士は、見事に「恩返し」を果たしたのだった。

「短命横綱」になるのではという声も

 千代の富士は変わった。「脱臼を繰り返す細身力士」は、肩に鎧のような筋肉を付けたことで、強く、獲物を掴み取っていくウルフへと変貌を遂げたのだ。

 昭和56年初場所、貴ノ花は引退。この場所、まるで貴ノ花の魂が乗り移ったかのように、千代の富士は初日から14連勝。千秋楽、北の湖に破れたものの、14勝1敗で初優勝。春場所、大関に昇進した千代の富士は、名古屋場所で2回目の優勝を果たし、なんと秋場所では、58代横綱に昇りつめたのである。世は、ウルフフィーバーに沸いた。

 関脇だった初場所から、たった4場所で果たした快進撃。賞賛の一方で、横綱としては体が細く、安定感がないなどの点から、「短命横綱」になるのではないか? との声もあった。ところが、そうした声に反して、ウルフは、横綱2場所目に3度目の優勝、幾度かの休場を挟みながらも優勝回数を重ねていく。

 昭和60年初場所、両国に新国技館ができた場所で、北の湖が引退。同場所で、10回目の優勝を飾った頃から、本当のウルフの時代がやってきた。

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