「どこでも寝られる」と思っていたピン芸人・九月の“睡眠観”に衝撃を与えた一言 「人はそれを眠れないというんですよ」
「どこでも眠れる人間である」ということにし続ける
名付け一つで現象が反転する。コペルニクス的転回の最も微小なるもの。「どこでも眠れる」という自認が、指の隙間からこぼれかける。
しかし、僕にも矜持がある。だからといって、認めない。認識は選べる。選ぶべきだ。僕はどこでも眠れる人間でありたい。その方が良い気がする。従って今後も、「どこでも眠れる人間である」ということにし続ける。認識こそ事実への最大の抵抗だ。動いた歴史を動かなかったことにする、それもまた僕のあるべき歴史だ。
そういえば、耐久ライブのとき、どうしても眠くて仕方なく、意識が飛んでいる時間がある。むろん記憶もない。人はそれを「寝ている」と称する可能性がある。
うるさい。俺は起きている。強く握った拳に、寝言のような矜持を携えながら。
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