「どこでも寝られる」と思っていたピン芸人・九月の“睡眠観”に衝撃を与えた一言 「人はそれを眠れないというんですよ」

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ドッジボールの内野でも、舞台袖でも…

 京都大学出身のピン芸人として注目を集め、2023年8月に初のエッセー集『走る道化、浮かぶ日常』を上梓した九月さん。未曽有の企画「48時間軟禁ライブ」の裏側で、彼に起こっていた“眠り”にまつわるコペルニクス的転回とは……?

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 自分はどこでも眠れると思って生きてきた。

 小学生の頃は親の車の助手席で寝た。親から「寝るなら助手席に座るな」とよく言われた。中高生の頃は大半の授業で寝た。科目は国語や数学にとどまらない。笛けたたましき音楽の授業でも眠った。あろうことかドッジボールの内野でも寝た。周りからすれば怖かっただろうが、僕は眠かったら寝る。アウトになり、起き、外野で寝た。

 大学生の頃は、研究室のソファーでも床でも寝た。当時は頻繁にヒッチハイクをしていたが、名も知らぬ恩人から「寝るなら助手席に座るな」という視線をよく感じた。本当に申し訳ないと思いながら寝た。

 大学院進学と同時に、芸人との二重生活が始まった。20時から翌5時までショーパブに出演した。浴びるように飲まされながら、もっと飲んだお客さんにネタを披露する。常に罵倒され、時に殴られる。夜の大阪は魔界だった。とはいえ寝た。楽屋でも舞台袖でも寝た。ミスチルけたたましき常連のカラオケを背に寝た。帰りの電車でも寝た。

「人はそれを眠れないというんですよ」

 これら経験的事実からいって、僕はどこでも眠れる人間であり、すなわち睡眠をコントロールできる人間である。いつまでも起きていられるということでもある。僕は各地で会場を借りては「48時間軟禁ライブ」とか名付けて、不眠不休で延々とコントし、終わった後に好きなだけ眠っている。

 先日、その種の長時間ライブをしたときのこと。会場主に「九月さん、ライブ後はどうされますか?」と聞かれた。僕は「床で寝ます。ご心配なく。僕はどこでも眠れるので」と答えた。心配そうな顔をした会場主が「眠れますか?」と聞く。僕は「はい。何回か起きるでしょうけど、何度も眠ればいいだけなので」と答えた。会場主は「九月さん、人はそれを眠れないというんですよ」と言った。

 とても驚いた。まさか自分が「どこでも眠れない人間」である可能性があるとは。思えばどこで寝たときも、僕は何回か起きた。そのたび何度だって寝た。学習机、体育館、舞台袖、車、布団、どこでも僕は何度も起きて何度も寝る。僕はそれを「眠れる」と称していたが、これは「眠れない」とされる現象だったのか。

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