「私が悪い女だから、沢山の男が命を失ったように言われています…」 日本へ帰国、51歳で亡くなるまで続いた「アナタハンの女王」の苦悩

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愛情が足りなくて済まなかったね

 和子が心配した2人の連れ子とは人も羨む仲になった。雨が降り出すと、傘を持って母親を迎えに行く子供たちの姿が近所では何度も目撃された。長女が結婚しても、家族が行き来して食事を共にすることも少なくなかったと近所の住人は言う。和子にとっては、物心ついてから初めて味わう家族団欒だった。

 人並みの幸せな人生をようやく掴んでから16年後の昭和49年3月13日、和子は脳腫瘍でこの世を去った。波乱に富んだ51年の生涯だった。

「義姉さんに苦労かけてしまった。許してな」

 義姉の歌子に残した和子の言葉。

「継母だから、愛情が足りなくて済まなかったね」

 これが和子の最期の言葉だった。

 女であるが故に起きた、性と生の惨劇。生還後もその烙印に翻弄された和子の半生。「男たちが悪いんでしょ」という和子の叫び。妻として、母として、女として生の淵を辿った和子は、その数奇な「女の宿命」を最期に受け入れたのだろうか……。

 今、和子は、時折米軍機が爆音を落とす、名護市内の小高い丘の墓地にひっそりと眠っている。

(文中敬称略)

前編【「アナタハンの女王」と呼ばれた女性の生涯 日本兵32人に囲まれ、そのうち5人と“結婚”、4人は不審死か別の男に殺害され…異様な孤島生活とは】からのつづき

秋本誠

デイリー新潮編集部

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