組長の仕事は? なぜ抗争は終わらない? 山口組への「素朴な疑問」について徹底解説
主な資金源は
Q6.主な資金源は何でしょうか?
山口組は、64年の東京オリンピックを機に本格化する警察の「第1次頂上作戦」のあおりを受け、正業分野である港湾と興行において傘下企業の大半を失います。ただ、組の息のかかった者が実質的に経営する倒産整理、金融、不動産、土建、解体業など「フロント企業」という形態により首都圏を含めた列島各地への進出はむしろ加速したのです。
バブル景気華やかなりし頃は、「地上げ」を含めた土地開発や入札調整、仕手筋と手を携えての株価操作など、大型の「民暴」(民事介入暴力)が盛行しました。この分野でも、全国区の山口組の暴力イメージが、取引の障壁となる相手を黙らせるのに多大な威力を発揮したのです。
もとより、恐喝、博打(ノミ行為も)、用心棒代(みかじめ料)、薬物取引など、伝統的な食い扶持も維持されてきたことは言うまでもありません。
芸能界との関係
Q7.芸能界との関係はどうなっているのですか?
山口組は戦前より、吉本興業の創業者吉本せいを後援するなど、興行の世界にその名をなしていましたが、戦後に「神戸芸能社」を設立し、興行界の大立者として君臨したのが、三代目の田岡でした。田岡は、親交を深めた相手とは愛人の住所まで知らされるほど深く付き合ったとされます。
81年に田岡が死去した際、一般人向けの葬儀に参列した中には、「後見人」として庇護下においた美空ひばりをはじめ、勝新太郎、鶴田浩二、菅原文太らの姿がありました。芸能人とのこうした人脈は、田岡亡き後も多かれ少なかれ、その部下たちに受け継がれていきましたが、2008年に山口組傘下の大物組長として知られた後藤忠政組長の誕生パーティー・ゴルフコンペに、小林旭、細川たかし、角川博、松原のぶえ、中条きよしら芸能人が参加していたことが「週刊新潮」のスクープで発覚。これを受けてNHKが番組への出演自粛を申し渡した騒動が、一つの転機となりました。
「蜜月」にとどめを刺したのは、その3年後、山口組最高幹部との交際を理由に、吉本興業の人気タレント島田紳助が芸能界から引退した一件でしょう。山口組とは戦前から因縁浅からぬものがあった吉本興業の稼ぎ頭といえども、ヤクザとの交際を断ち切らなければテレビ出演から弾き出される時代の到来を告げました。
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