中日で再起を期す「上林誠知」を苦しめ続けた“呪縛” 「あの人を見ていると、満足ができないんです」と漏らした“3年前の告白”とは

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超えなきゃいけない。でも超えられない。

 その日の2安打で、ファームとはいえ、上林の打率が3割に乗った。話を聞こうと、私は球場前の関係者入口で上林を待った。

「自分の思った通りに動けはしていない。技術としても、当然まだまだです。よかったり、よくなかったり……」

 笑顔は、一つもない。むしろ、険しい顔だった。

 ビジターでの取材は、宿舎へ戻るバスに全員が乗り込むまでというのが、ソフトバンクのファームでの不文律。チームのマネジャーが、球場から出て来たときが、いわば終了のサインだ。

 ところが、上林が動こうとしない。

 エンジン音が聞こえる。気になってしょうがない。それでも、上林は話し続けた。まるで、心の内から思いがとめどなくあふれてくるかのようだった。

「上を見過ぎて、自分を苦しめていたというのは、当然あるんです。超えなきゃいけない。でも超えられない。そういう、なんか自分の中で”決めつけ”があったりして……。日本一のバッターがいるんで、『あの人』を見ていると、満足ができないんです」

 その真摯な思いに、誤解があったままではいけない。愚問だと思いながら、あえて、確認させてもらった。

「それは、柳田君のこと……だよね?」

「そうです」

“苦しかった5年間”を振り払えるか

 同じ左バッター。同じ外野手。そこに、上林だけでなく、周囲も理想像をダブらせる。しかし、今を思えば、柳田のようなパワーには及ばない。むしろ「51」の背番号の代名詞、イチローのような巧打、ワンバウンドのボールもさばいてしまったという、天才的なバットコントロールに、上林の最大の魅力があったはずなのだ。

 なのに、その“柳田悠岐という理想像”を追い求めるあまり、上林は自分を見失ってしまったのかもしれない。

 あの言葉から3年。上林は、名古屋へと戦いの舞台を移す。

「初めの5年間は本当にいい思いをさせて頂いて、あとの5年はケガが多く、苦しかったですけど、それも含めていい思い出です」

 その“苦しかった5年間”を振り払うには、絶好のタイミングかもしれない。しかも新天地では、リーグだって変わる。

「不安はありますけど、楽しみな部分もあります。環境が変わって、自分がどう変わるのか。一からまた、レギュラーを狙うつもりで、頑張りたいです」

 2024年、プロ11年目のシーズン。

“呪縛”が解けた上林誠知の再出発が、楽しみでならない。

喜瀬雅則(きせ・まさのり)
1967年、神戸市生まれ。スポーツライター。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当として阪神、近鉄、オリックス、中日、ソフトバンク、アマ野球の各担当を歴任。産経夕刊連載「独立リーグの現状 その明暗を探る」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。産経新聞社退社後の2017年8月からは、業務委託契約を結ぶ西日本新聞社を中心にプロ野球界の取材を続けている。著書に「牛を飼う球団」(小学館)、「不登校からメジャーへ」(光文社新書)、「ホークス3軍はなぜ成功したのか」(光文社新書)、「稼ぐ!プロ野球」(PHPビジネス新書)、「オリックスはなぜ優勝できたのか 苦闘と変革の25年」(光文社新書)、「阪神タイガースはなんで優勝でけへんのや?」(光文社新書)

デイリー新潮編集部

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