中日で再起を期す「上林誠知」を苦しめ続けた“呪縛” 「あの人を見ていると、満足ができないんです」と漏らした“3年前の告白”とは
「一度は死んだ身だと思っています」
2023年11月29日。上林誠知が、新天地・中日の入団会見に臨んでいた。
「ホント、一度は死んだ身だと思っています。それを救ってくれたのが中日ドラゴンズ。チームのために、全力で頑張ります」
10年間プレーしたソフトバンクから戦力外通告を受けてから38日。チーム打率がセ・リーグ最下位。打力不足に泣く中日が、かつて「天才」と呼ばれた左打者に着目したのは、むしろ当然の流れだったかもしれない。
「一番最初に連絡を頂いた」と明かした28歳は「野球がまずできることの喜びを感じられて、嬉しいです」。
決して喜怒哀楽を表に出すタイプではない。しかし、再スタートへの覚悟と意欲は、それこそ体中から突き上げてくるのを止められないのだろう。上林の表情が、いつになく明るかった。
その笑顔を見ながら、私は3年前の記憶を辿っていた。取材メモをひっくり返すと、その日付は「2020年10月6日」。
上林の姿は、大阪・舞洲にあった。
コロナ禍でシーズンの開幕が遅れ、クライマックス・シリーズと日本シリーズは、いずれも11月以降にずれ込んでいた。優勝争いの佳境を迎えていた終盤戦の時期に、上林はファームにいた。
柳田悠岐二世、誕生――
「3番・右翼」でスタメン出場すると、8回に中越えのタイムリー二塁打を放つなど2安打。ちなみに4番は、その年限りでソフトバンクを退団することになる内川聖一だった。
プロ4年目の2017年、134試合に出場して台頭すると、同10月のアジアチャンピオンシップで日本代表に選出され、タイブレーク制の10回、韓国に3点を失ったその裏、起死回生となる同点3ランを放ったのが上林だった。
さらに5年目の2018年、143試合すべてに出場、打率.270、22本塁打。守っても強肩、俊足で守備範囲も広い。その躍動する姿に、誰もが“あの男”をダブらせた。
柳田悠岐二世、誕生――。
しかし、この看板が、上林の心と体を、ある意味で縛り付けてしまうことになろうとは、その頃は思いもよらなかった。
2019年、死球で右手薬指を剥離骨折。「1番右翼」で開幕スタメンを務めた2020年も、終盤はファーム暮らし。2021年は打撃不振で1軍出場は39試合止まり。
そして2022年5月には試合前のノック中に右アキレス腱を断裂。復活をかけた2023年も、1軍と2軍を行ったり来たり。56試合で打率.185に終わり、戦力外通告を受けることになった。
私が思い返していた“3年前の告白”は、上林の成績がなだらなか下降線を辿っていた、ちょうどその頃だった。
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