日テレ「傷だらけの天使」は半年、TBS「ありがとう」は1年だった…連ドラの放送期間が「3カ月」になった事情
俳優たちが長期拘束を嫌がった
ドラマが3カ月単位になった2つ目の理由は、俳優たちが1つのドラマに長く拘束されることを嫌がるようになったためだ。民放ドラマの演出家によると、この傾向が強まったのも1980年代からである。
当時、俳優は映画やほかのドラマ、舞台もやりたがった。特に映画である。だが、半年単位、1年単位のドラマをやっていたら、映画出演は難しい。
1980年代の映画界は活況を呈していた。小栗康平監督(78)が「泥の河」(1981年)を、故・大林宣彦監督が「時をかける少女」(1983年)を、故・相米慎二監督が「台風クラブ」(1985年)を撮った。俳優たちが映画をやりたかったのも分かる。
打ち切り時のリスク分散、俳優の意向から、1980年代のドラマ界は状況が一変した。半年単位、1年単位のドラマはほぼ消滅し、3カ月単位が主流となる。
西田敏行(76)が主演した日本テレビ「池中玄太80キロ」は1980年4月から3カ月の放送。一世を風靡したTBS「金曜日の妻たちへ」の放送も1983年2月から、フジテレビのトレンディドラマ「君の瞳をタイホする!」も1988年1月から3カ月の放送だった。
残っていた半年単位、1年単位のドラマも徐々に消えていった。ほかのドラマのほとんどが3カ月単位になると、孤立してしまうのである。スポンサーや俳優を集めるのが難しくなる。
山下真司(72)主演のTBS「スクール☆ウォーズ~泣き虫先生の7年戦争~」は1984年10月から半年にわたって放送されたものの、同年11月から後続番組として放送された故・丹波哲郎さん主演の「スーパーポリス」は3カ月で終わった。時代の流れだった。
3カ月単位のほうが局は儲けやすい
3番目の理由はあまり知られていない。3カ月単位のほうが局は儲けやすかったのだ。スポンサーとのCM料などの交渉を半年おき、1年おきにやるより、3カ月ごとに行い、自分たちに有利な条件を提示したほうが良かった。
「今の民放は低成長ですが、1980年代は最もいい時代だった。視聴率は良かったし、世間はバブル前夜からバブルだったので企業はCMを積極的に入れてくれた。交渉は短いサイクルでやったほうが局にとって有利。CM料金などで、こちらの希望を伝えやすかった。それにより局の利益はグングン伸びた」(元民放編成幹部)
もっとも、現在は3カ月単位にしたツケが回ってきている。全10回から全13回程度しかない日本ドラマは海外輸出が難しいのだ。
アジア各国のテレビ局が流すドラマは全20回以上が常識。テレビ東京で放送中の韓流ドラマ「ヒョンジェは美しい~ボクが結婚する理由~」(平日午前8時15分)は全65回(韓国オリジナル版は50回)もある。欧米の連続ドラマも全20回以上が多い。海外のテレビ局にとって日本のドラマは扱いにくいのだ。
1983年から1年放送されたNHK連続テレビ小説「おしん」は世界86の国・地域で放送された。作品の質が高かったからだが、15分が297回分あることも各国に歓迎された。
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