日テレ「傷だらけの天使」は半年、TBS「ありがとう」は1年だった…連ドラの放送期間が「3カ月」になった事情
間もなく冬ドラマが始まる。終了は来年3月。ドラマはほとんどが3カ月(1クール)単位だ。どうしてなのか? その理由を探ると、民放界と芸能界の内幕の一端が浮かび上がる。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】
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打ち切りを考えて3カ月に
ドラマの大半が3カ月単位になったのは1980年代から。1970年代までは半年単位(2クール)の作品が主流で、1年単位(4クール)の作品も少なくなかった。
例えば故・萩原健一さんが主演した日本テレビの「傷だらけの天使」も主流だった半年単位の作品。1974年10月から翌75年3月まで放送された。TBS「3年B組金八先生(第1シリーズ)」の放送も1979年10月から翌80年3月の半年だった。
一方、当時の物差しだった世帯視聴率が最高56.3%に達したTBS「ありがとう(第2シリーズ)」は、1972年1月から1年の放送だった。中村雅俊(72)主演の日本テレビ「俺たちの旅」の放送も1975年10月からの1年。ただし、こちらは半年の予定で始まったものの、高視聴率だったため、途中で1年に延長された。
それが1980年代からは、ほとんどのドラマが3カ月単位になる。大きな理由が3つある。まずドラマが大コケした際には途中で打ち切らなくてはならないが、半年や1年の放送をあらかじめ計画していると、大混乱となるからだ。
3カ月単位だったら、長くても全12~13回程度だから、短縮されるのはせいぜい5~6話。それなら映画やストックしてある単発ドラマ、同バラエティを代わりに放送すれば乗り切れる。これが半年、1年の放送を予定していると、手当ては至難となる。
打ち切り時は土下座の勢いで謝罪
そもそもドラマはどうして打ち切られるのか。
「放送前、口約束ながら、スポンサーには『視聴率はこれくらい獲れます』と話す。蓋を開けたら、その半分程度の数字しか獲れないと、スポンサーへの裏切りになってしまうので、営業部門や編成部門から打ち切ろうとの声が上がる。約束の視聴率に遠く及ばないのに、高いスポンサー料を出し続けてもらうわけにはいかない」(元民放編成幹部)
打ち切り決定後は苦難の日々が続く。プロデューサーや制作幹部らが出演者の所属芸能事務所に出向き、謝罪しなくてはならない。各局とも事情は同じだ。
「打ち切りの理由の大半は企画と脚本にあり、俳優に責任はありません。無論、ギャラは本来の放送回数分を全額支払う。それでも相手は猛烈に怒る。打ち切りは屈辱ですから。相手側から怒鳴られたプロデューサーが土下座せんばかりに謝ることも珍しくなかった」(同・元民放編成幹部)
ドラマが半年、あるいは1年の予定だったら、打ち切り時に削減されるのは数十回になるので、出演陣と所属芸能事務所の怒りも2倍、3倍になるだろう。ドラマが3カ月単位になった理由の1つなのもうなずける。
3年9カ月前に指標が個人視聴率になってからは打ち切りがない。世帯視聴率の場合、視聴者の総数や性別と年代などが全く分からないため、「10%なら合格、5%以下なら打ち切り」といった乱暴な不文律があった。
今は全く違う。個人視聴率の導入によって評価が多様化した。局やスポンサーは「コア視聴率(13~49歳の個人視聴率)が合格点だから問題なし」などと考えるようになった。
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