小錦の土俵人生 「相撲はケンカ」「自分が日本人だったら」発言で物議 初優勝での号泣はうれし泣きではなかった

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あちこちが悲鳴を上げていた巨体

 批判の声を物ともせず、同じく平幕に落ちた元大関の霧島と共に土俵を盛り上げているうちに、あれほど小錦に対して否定的だったマスコミにも、いつの間にか応援ムードが広がっていた。

 平成9年の年頭、小錦はある決断をする。

「今年いっぱい、精一杯相撲を取る」

 280キロ近い体は、あちこちで悲鳴を上げていた。秋場所後の巡業では、生死の境をさまよう大量下血もあった。

 そして、前頭一四枚目で迎えた九州場所。13日目、琴の若に敗れて負け越しと十両陥落が決定した小錦のもとに、進退を問う報道陣が詰めかけた。小錦の気持ちは固まっていたが、真実は話せない。ところが、やはり取材攻勢に遭った師匠が、うっかり「小錦は今場所限りで引退する」と明かしてしまったのである。

 すると境川理事長(元横綱・佐田の山)は、「辞めると決まっている力士を土俵に上げることはできない」と発言。小錦は、14日目以降の土俵に上がれぬまま、引退となった。

「最後の最後まで、自分と直接関係のない問題で苦しめられてしまったなぁ……」

 悔しさを心に秘め、小錦は相撲協会を退職後、タレントとして、また実業家として、大活躍。2023年も後輩の元力士を率いてアメリカで「相撲ショー」を開催するなど、成功を収めている。

武田葉月
ノンフィクションライター。山形県山形市出身、清泉女子大学文学部卒業。出版社勤務を経て、現職へ。大相撲、アマチュア相撲、世界相撲など、おもに相撲の世界を中心に取材、執筆中。著書に、『横綱』『ドルジ 横綱朝青龍の素顔』(以上、講談社)、『インタビュー ザ・大関』『寺尾常史』『大相撲 想い出の名力士』(以上、双葉社)などがある。

デイリー新潮編集部

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