「お母さん!」元連合赤軍・永田洋子は獄中で叫んだ…激痛にのた打ち回りながら、14人の死者と向き合った人生

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人間を知らなかった

「これだけ、適切な医療をせず放置しているってことは、永田さんを病死させたいのでしょう。そうとしか思えません」

 秋田弁護士が怒りをこめて語る。この日の面会は、秋田弁護士にとってもつらいものとなった。

「永田さん、このまま、わって声をあげて泣き出すんじゃないかって、そう思える瞬間が何度かありました。面会をとても喜んでくれたのですが、終わりが近づく頃には……。何とか自制しましたが、これまで一度だって、永田さんのそんな姿を見たことはありませんでした」

 永田は自らの人生をこう記した。

「“耐え難い人生を、それ故に耐え抜こう”というサルトルの言葉に、大いに励まされますが、それはまさに私の生き方であり、この生き方しか私にはあり得ませんでした。耐え抜こうとやってきたからこそ、耐え難い人生の中で様々なことを教えられ、人間に対する揺るぎない信頼を持つことができました。最も愚かだったのは当時、人間を知らなかったということでした」

 永田洋子が自分の人生を、「耐え難い」と断ずるとき、そこにどれほどの絶望と苦しみが込められているのか、彼女が向き合わねばならぬものの重さ、その闇の深さは、外側からは到底、計り知れない。

永田洋子は並大抵の人間ではない

 たった一人、狭い独房で、激痛にのた打ち回りながら、14人の死者と向き合う永田の人生に、ずっと寄り添ってきた秋田弁護士は、思いのたけをこう語る。

「やはり永田洋子は並大抵の人間ではないと思います。かつての仲間から徹底的に批判され、裁判では容姿や性格まで罵られ、拘置所に病状を訴えても放置され続け、しかも、再審請求中であっても100%執行がないとは言い切れません。そんな死刑執行の恐怖がつきまとう日常にあって、そうであっても彼女は生きていこうとしています。連赤の総括を手放さずに」

 より良い社会をめざし、自らを犠牲にし、人を救うために真剣に「革命」を追求した彼らがなぜ、自らの手を仲間の血で染めた、大量殺人犯に身を落としたのか。裁判が終わってもその答えは未だ、出ていない。永田は生涯、「連赤事件の総括」を背負い、生きていかなければならない。

前編【元連合赤軍「永田洋子」の獄中生活 「夜中に頭痛で眼が覚め、苦しむばかりで眠れない日。もはや耐え難く…」】からのつづき

橘由歩(たちばな・ゆうほ)
福島県生まれ。ノンフィクションライター。東京女子大学文理学部史学科卒業。専門紙記者を経てフリーに。雑誌を中心に、家族問題や人物ルポ、事件記事等を執筆。著書に『「ひきこもり」たちの夜が明けるとき~彼らはこうして自ら歩き始めた』がある。なお、黒川祥子(本名)で『同い年事典―1900~2008―』などの著作がある。2013年、第11回開高健ノンフィクション賞受賞。

デイリー新潮編集部

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