「お母さん!」元連合赤軍・永田洋子は獄中で叫んだ…激痛にのた打ち回りながら、14人の死者と向き合った人生

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動機は「女としての嫉妬」に反論

 マスコミはここに飛びついた。永田の「女としての嫉妬」こそ、同志殺害の原因なのだと。永田はこう反する。

「私は大槻さんの総括について『自分だけを(中略)反革命でしかない』など一度も述べていません。私は、大槻さんは真面目に総括していると思い、殴らずに食事を与えていました。ところが榛名から迦葉山アジトに移った直後、森さんが『大槻の態度は総括しようとするものではない。そういう態度を優等生的に装っていただけなんだ。大槻は僕をにらんだ』と言ったのです。私は自分が気づかなかったことにあわてて、大槻さんの様子を確認しようと外に駆け出しました。指導部で大槻さんの様子を知らなかったのは私だけだったからです。それは大槻さんの鋭い目に会うことでした。しかし私は、『大槻は私をにらんだ。確かに総括する態度でない』と報告したのです。この報告で森さんは『殴る必要がある』としたのです。

 ですから判決が決め付けた言動を私は行っていないし、他の仲間の供述にも出てきません。ただ一つ、植垣さんの供述調書を除けば。ことには、恋人だった大槻節子さんを殺害された植垣さんの、深い悲しみと憤りを感じないわけにはません。これを控訴審判決は悪用したのです」

残酷さに心の底が冷え冷えするばかり

 永田にとって事実を辿ることは、自らが犯した逃れられない誤りを、直視する行為に他ならない。それは「一つ一つ、まさに血を吐く思いで」為されたものだった。

「大槻さんの様子を確認するために走ったことを考えると、自分の頭を殴りたくなってきます。情けなく悲しい限りです。既に9名もの同志を死亡させているのに、この段階でも私は暴力的総括要求や共産主義化の誤りを、その片鱗すら考えていないのです。

 しかも私は恋人である植垣さんに、『植垣君、あんた大槻を殴れる? 先頭に立って殴らなきゃだめよ』と強要したのです。今、その残酷さに心の底が冷え冷えするばかりです。これ以上の残酷さがあるでしょうか。それは植垣さんばかりでなく、兄を殺された加藤兄弟も、妻である金子みちよさんと胎児を失った吉野さんも、夫である寺岡さんを死刑で殺されたS・Mさんも、どれだけの苦しみと怒りの極に追われたのか。

 しかもそこには残酷さだけではなく、表現できない悲惨さもあるのです。私が大槻さんを殴るように強要し、植垣さんがその決意を固めた時、床下に縛られていた大槻さんは頭を垂れ、すでに衰弱死していたのです。私たちは皆で大槻さんを殴りに行こうとしました。その先頭に立った植垣さんは、いち早く、大槻さんが亡くなっていることを知ったのです。その時の様子は、今でも忘れることができません。植垣さんは垂れている大槻さんの顔を片手であげ、驚愕したのでしょう、後に続く私たちの方を見ていました。口を開けながら……」

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