元連合赤軍「永田洋子」の獄中生活 「夜中に頭痛で眼が覚め、苦しむばかりで眠れない日。もはや耐え難く…」
連合赤軍にとっての「総括」とは
総括要求された若者は、極限状況下でも誰一人、取り乱す者はいなかった。「死刑」の宣告も「(本来なら)革命戦士として死にたかった」(寺岡さん)と受け入れた。もちろん、穏やかな顔の死者は一人とていなかったけれど。秋田弁護士は言う。
「彼らは真剣に革命を追求し、総括は革命を成し遂げるために必要なことだと、総括を受ける側も含め全員が確信していたのです。20代の若い世代が、世界を変えよう、よりよい政治システムを作ろうと思想を信じ、思想は行動によって血肉化されなければと武器をもって闘った。
なのに、革命の大義などないと裁判所が彼らを貶めるのは、彼らの行為が、安閑と生きてきた人たちの喉元に何かを突きつけたからでしょう。確かに人間性を見失っていたし、極端に行き着いてしまったけれど、総括とは決して殺すためのものではなく、あくまで同志への援助だと信じていたのです。だからナチスや、アメリカがイラク兵捕虜に行ったこととは明らかに違います。ただやったことは全て、非常に悲惨なものでしたけれど」
***
脳腫瘍の諸症状に加え、更年期障害にも苦しんだ永田洋子。のたうち回るほどの激痛の中で「お母さん!」と叫びながら、自身とかつての仲間たちの「母」を襲った悲劇を思う――。つづく後編では、永田が向き合わねばならぬものの重さと、その闇の深さに迫る。
後編【「お母さん!」元連合赤軍・永田洋子は獄中で叫んだ…激痛にのた打ち回りながら、14人の死者と向き合った人生】へつづく
[4/4ページ]