元連合赤軍「永田洋子」の獄中生活 「夜中に頭痛で眼が覚め、苦しむばかりで眠れない日。もはや耐え難く…」
わずか3ヶ月弱の闘いが終焉
「更年期症状のひとつが睡眠障害でした。頭が“ガーン”と響き、その痛みで全く眠れない、このままでは死しかないと感じる日々が続きました。“ガーン”として眠れず、睡眠導入剤を服用してもすぐに眼が覚めてしまい、そんな時、鉄格子越しの黒い空がいつまでも黒かったその時のことを思い出し、涙ぐむしかありませんでした。共産主義化という言葉で縛られた同志たちが、苦しみのあまり夜も眠れず、困惑しただろうことを思うと、自分の犯した過ちに、大きなため息をつくしかありませんでした」
極寒の氷点下、奥深い山中は雪が降り積もり、まるで空気や光まで、もの全てが凍らんとしていた。
総括要求された若者たちは、「同志的総括援助」ゆえに集団で殴られ、ろくに食事も与えられず、糞尿垂れ流しのまま、外に縛られていた。死因は内臓破裂による失血死や凍死等。それは「敗北死」とされた。「死刑」が決定され、アイスピック等で処刑された者もいた。
なぜか、いつも2月だ。永田の誕生日が2月8日なのは偶然の符合にしても、永田や坂口弘(当時25歳、確定死刑囚として、東京拘置所在監)ら革命左派が指名手配を受け、山岳ベースに退却するきっかけを作った真岡銃砲店襲撃が、71年2月17日。
永田はそのちょうど1年後、森と共に妙義山中の洞窟アジトで逮捕される。植垣康博(同23歳、懲役20年、98年出所)ら残りのメンバーのうち4人が軽井沢駅で逮捕され、坂口ら5人があさま山荘を占拠したのが、2月19日。奇しくも21年後のその日、永田と坂口は、最高裁で死刑を宣告されることとなる。
あさま山荘に突入した機動隊に、坂口、坂東国男(同25歳、超法規的措置で75年出国)、吉野雅邦(同23歳、無期懲役で千葉刑務所に服役中)らが逮捕され、わずか3ヶ月弱の連合赤軍の闘いが終焉したのは、2月末のことだった。
ポトポトと記憶を落とす
しかし、社会が驚愕したのはこの後だった。連合赤軍メンバー29名のうち、未逮捕で、公安警察が必死で探していた12名全員が、土の中から発見されたからだった。衣服を剥ぎ取られ、男女一緒に埋葬される場合は、互い違いに横たえられていた。女性の死者は4名。妊婦もいた。
この「総括」を森とともに指導者として担った永田は今、脳腫瘍手術後の放射線治療で、脳が壊死したことに起因する記憶障害に苦しめられている。永田にとって最大の恐怖は、この事実を忘れることだ。
「それはまさに“ポトポトと記憶を落とす”ような事態で、そのあまりのすさまじさに、私たちが殺害した14名の同志たちの名前さえ落としているのではと、うろたえあわてふためく気持ちになるのでした。背中に冷や汗さえ出てきました。その恐ろしさといったら表現できないほどで、すぐさま殺害した同志の名前を声に出して呼んでみたのです。
『向山茂徳さん(当時21歳、71年8月革命左派により殺害)』『早岐やす子さん(同22歳、同上)』、そして『尾崎充男さん(同22歳、71年12月31日死亡)』『進藤隆三郎さん(同21歳、72年1月1日死亡)』『小嶋和子さん(同22歳、1月2日死亡)』『加藤能敬さん(同22歳、1月4日死亡)』『遠山美枝子さん(同25歳、1月7日死亡)』『行方正時さん(同22歳、1月9日死亡)』『寺岡恒一さん(同24歳、1月18日殺害)』『山崎順さん(同21歳、1月20日殺害)』『山本順一さん(同28歳、1月30日死亡)』『大槻節子さん(同23歳、1月30日死亡)』『金子みちよさん(同24歳、2月4日死亡)』『山田孝さん(同27歳、2月10日死亡)』と口に出し、それができたことに心から安堵を覚えたのでした』<( )内は筆者注>
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