元公明党委員長・竹入義勝氏死去 田中角栄に日中国交回復を決断させた交渉の全内幕
「おまえ、日本の総理だな」
竹入氏らは周恩来首相の提案を、通訳を交えて一語一語、間違えないようにメモに取った。これが後に、日中共同声明の原案になった「竹入メモ」だ。帰途、香港に立ち寄った竹入氏たちは会談内容と共同声明の草案を清書した。〈コクヨ製の罫紙にビッシリと書き込まれた会談記録は52枚に及んだ〉という。8月3日に帰国し、翌日、首相官邸を訪れ。田中首相にメモを手渡した。その2日後、竹入氏はホテルニューオータニの一室で再び田中首相と会う。
〈「これから読ませてもらうから」
田中は会談記録を広げると丁寧に2度読み直した。開口一番、田中はこう言った。
「おまえ、日本人だな」
中国に騙されていないか、疑ったのである。
「何をふざけたこといってるんだ」
「これは絶対間違いないか」
「一字一句、間違いない。中国側にも確認してもらった」
そして少しの間を置いた後、田中はこう言った。
「おれ、北京に行くぞ」
「おまえ、日本の総理だな。本当に行くんだな」
今度は竹入が言い返した。
「ああ、行くとも」
田中が確かに訪中を決断した瞬間である。〉
政界引退後、竹入氏は朝日新聞に掲載した回顧録で、公明党が創価学会に支配されていると指摘。双方から激しい反発を受け、日中国交正常化交渉に関与していないような扱いを受けた。だが、「週刊新潮」の記事が出た翌年に刊行された『記録と考証 日中国交正常化・日中平和友好条約締結交渉』(岩波書店)という書籍で「竹入メモ」と共に、当時の様子を本人が証言している。
晩年の竹入氏は「池田大作(創価学会名誉会長)氏より先には死ねない」と周囲に語っていたという。